皆さんの周りにも「いい子」っていませんか?
荷物を運んでいるクラスメイトに「持ってあげるよ!!」って言って手伝う人とか。
グループワークで大人しい人が集まって、話が進まない時、「じゃあ、こうしようよ!」仕切る人とか。
不器用で上手く何かをこなせていない人に話しかけて、「これはこうするといいよ!」って話しかけに行く人とか。
どうしてもそんな人にムカついてしまう時があります。
私は何かを始めたとき、やりきらなければ、という使命感を感じます。
例えば、物を運ぶのも自分でやり始めたからには自分で終わらせたいと思います。
なのに、「持っていってあげる!」という余計な一言ですべて崩れる。「大丈夫だよ」って断っても、「私、そういうの好きなんだよね〜」ってまるで私が嫌々運んでるみたいな一言とこれ以上断れない雰囲気。
「じゃあ」って折れるときの屈辱。
みんなは「〇〇ちゃんって周りの人のことよく見ていて優しい」って褒めるあの空気が嫌なんです。
また、「私つい困ってる人見ると、身体が勝手に動いちゃう」って、人助けをした後、何度も言ってくるのがウザいです。
グループワークでも、のんびりした雰囲気でやりたいのに、一人のいい子による「こうしなきゃ!」って言われたルールに従う空気感が嫌です。
そして周りはみんな「〇〇が仕切ってくれてありがたい!〇〇の意見に従ってれば安心だね〜」となり、別の意見を言えない。それに言ったとしても、大体のいい子は「〇〇の言いたいこともわかるけど、こうしたほうが素敵でしょ?」って私が訂正してあげたよっていう善意を押し付けられて、私が間違っていたと言わされる。
私の言ったことが本当にグループのためにならないことなら良いです。
しかし、いい子は大抵、普段のグループや個人の会話の中でも、それを多発してきます。
不器用で上手くこなせていない人にアドバイスするのはいい子かもしれません。
でも、「〇〇ちゃん、きっとちゃんとやれば出来るよ!」とか、私が真面目にやらないからできないだけっていう言葉と同じに聞こえます。
何度努力しても無駄に終わったつらい気持ちなんて何一つ考えやしない、短絡的な思考が嫌です。
なのに明らかな「ありがとう」待ちをしたり、「ありがとう」がなければ「ごめんね!私、おせっかいだったよね…」って言ったりするでしょう。
そして、これらのすべては周りに褒められるまでをセットとしている。
周りにあまり褒められなければ、「私、ついこういうことしちゃう」とか「こういうことしたけど、迷惑じゃなかったかなあ」とか言って褒められ待ち。
今まで私上記のようないい子の3人(小中・高・大)と友達になったんですが、
・望んでなくても助けられたときは必ず喜んで「ありがとう」を言わなければならない
・いい子の良い行動を見たときは、周りの子としていい子の行動を褒めなければならない
という苦しさを感じてました。
さらに、その子の行動は評価され、隣の私の評価が下げられることもしばしば。
私の性格が終わってるのはわかってます。
そのいい子の行動が善意で、周りも喜んでいるなら、歪んでるのも間違っているのも私だけで、私が本当に悪い性格なのかもしれない。
でも、ほんの少しでも私に共感したことあるっていう人がいるんじゃないかと、そう思ってます。
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