ネガティブ長文です、すいません。
かまってちゃんって言葉に縛られて、誰にも辛いと言えなくなった。
落ち込んでメンヘラぶるやつってマジ困る、とか、辛い辛いとか言うやつ正直お前だけじゃないからみたいな感じでうざい、とか周りの友達は結構言う。
私はそっかーとか言いつつ、この人たちには本音は話せないと心を閉ざす。
嫌われたくないから。
かまってちゃんにはなりたくないから。
私は学校では友達多くて明るくて面白い人、で通ってる。
でも本当は無理して笑ってんだ。
家でも必死に道化を演じて家族を笑わせてるんだ。
正直今、家庭環境結構終わってる。
受験についても応援してもらえてない。
自分の過去については何度もいじめられたし、自殺未遂したこともある。
全部辛いんだ、本当は。
同じ部活で唯一全部話せてた子には、引退の時、顧問の先生から
あいつ(私)の話をよく聞いてあげて相談乗ってあげてたけど、本間は喋りたいことあるでしょ?
本当は君も辛いでしょ?
って言われてて、友達は何も言わなかった。
相談する度に、迷惑かけてごめんね時間割いちゃってごめんねって何度も謝ってたけど、いいよっていつも言ってくれてた優しい友達。
あの子の本当の気持ちは分かんないけど、もう負担かけちゃいけないと自覚した。
側に来てくれる人は、私の体目当ての男だけ。
部活の後輩も同級生もたくさんの友達も、私を好きだと言ってくれる。
でも誰も信じられない。
誰も頼れない。
かまってちゃんと言われるのが、嫌われるのが怖くて。
誰かに愛して欲しい、それだけなんだ。
先生(顧問?)につらいっていう人はまずいないよ。
うちの友達にも、弱音を吐かない子がいて、いつも笑って相談に乗ってくれて優しい子がいた。
でも、彼女の環境も複雑で。
話してくれたら、いいこと言えなくても聞いたのに、何も言わないで、結局音信不通になった。
友達に1人で抱え込まれることほど悲しいこともないよ。
つらいなら話してほしいと思う。
もちろん、友達の程度にもよるんだろうけど、大切な人ならなおさら。
その部活の友達はあなたのこと、大切に思ってくれてるんじゃないのかな。
聞いてくれてありがとうって感謝するのが一番じゃないかな。
あなたも彼女のことを大切にしてあげたら、きっと素敵な関係を築けると思うよ。
私は、かまってちゃんという単語ではなく、
その中身に向き合わうという選択は
放棄されているのかな?と思いました。
誰かに愛して欲しい・・という時点で、誰か・・って、誰でもいいって
ことかな?とも解釈出来ますが、
現実には、誰でもよくはなかろう、とも思います。
精神的に私は弱者、と自覚している人でも、なんだかんだ言って
相手を選んでいます。
私は、誰かに愛して欲しいという人で、自分から誰かに与える、という人を
ほとんどみたことがありません。
あんたが与えてくれるなら、私も与えてあげてもいいよ,のしか見たことないです。
それは、与えるものがないのではなく、心の深い部分で
使い方を知らないまま、単に眠っているだけのことだろうと思います。
使い方というのは、出来れば、家族間の中で、たくさん愛を受けることで
学んでいくことがベストだと思いますが、
親御さん自体、そのまた親御さんに、愛を受けず(=与え方もわからない)
育ってきてしまった場合、あなたへの愛情の与え方がわからない可能性があります。
例えば、体裁を整える、自分の価値観を押しつける、それが幸せだと
育ってきた人は,子どもにもそれを「よかれと思って」与えます。
変な話ですが、私は,どちらかといえば、わかってちゃんの方ですが、
脱出するために、その場しのぎの作り笑顔を捨てる練習をしています。
捨てるということは、率直に自分の感情が出るということでもあるので、
今までのやり方で取り繕えていたものが崩壊します。
崩壊することで、当然、印象が変わるので、評価が変わります。
でも、そういうの、もうどうでもいいかな?とも思っているので、
去りたきゃ去れや、と思っています。(どきどきはしますよ)
同時に、今の方がいい、という人と引き合う可能性が高いです。
気が楽だぞー
相手にも、居場所を求めたりしない分、お互い自由だぞー
かまってちゃんうんぬんより、もし、生きづらいと思うなら、
自分がどうしたいのか?・・どうすれば、心から楽に生きられるのか?
そっちを考えていく方が
急がば回れですが、結局早道のような気がします。
以上は、もし、自分があなたの状況だったら、どうするか?の話です。
矛盾するようですが、私は、本人さんが、かまってちゃんでいることが
生きるのが楽だ,と思うなら、
それを貫いていくというのも、一つの生き方だとも思っています。
それも、個人の選択肢の一つに変わりはないので。
まいたん
私が知っているかまってちゃんというのは、たいした能力も無く努力もしていないそれでいて待ち専な、なるべくしてなってしまったロースペックで人が寄り付かない様な人が自称霊能力等を駆使して話題の中心になろうとする感じの、そんなすっからかんな中2病と虚栄心の果ての様な人物を指すものだったのですが言葉の持つ意味が変わって来てしまったのでしょうか。それはそれとして自分の抱え込んでいる問題を誰かに話す場合についてですが、それを相手がどう捉えるかは想像した方がいいのではないでしょうか。つまりはどの人に話したらよいのかという問題です。適当に聞き流して誰にも言わない人・他の誰かに知らせる人(他の誰かをきちんと選ぶ人・そうでない人)、しっかり聞いて___以下略その他諸々色々いる訳です。相手の状態にも気遣う必要があるでしょう。(あとね、誰かに愛されたいのなら相思相愛になる事だよ。誰かも書いてた気もするけどくればっかりじゃムリだ。)