あんなこと言わなきゃよかった。そもそも、あの人と話さなければよかった、あんなとこ行かなきゃよかった、あんな場にいなければよかった
わたしなんて存在しなければよかった!
と思考が飛躍していく。
些細な発言で幻滅されたと思い込んで帰りの電車で顔をずっと覆っていた。
でもその後にLINEで今日は楽しかったとか言われたりしたら、結局すぐに元気になってしまう。
そんなことばかりを繰り返している。
学習をしない。バカみたい。
幻滅。
わたしの弱いところ、汚いところ、浅ましいところを全て見られた上で、冷たい眼差しと共にすべてを切り捨てられること。
小学生のとき、無邪気な発言や行動が人の倫理観に少しでも抵触すれば、あるいはそうでなくとも虫の居所が悪ければ激詰めされ、侮蔑される。恥を知れと言われる。
中学生のとき、そうした経験から生み出された臆病さや恐怖を乗り越えて信頼した友人から訳もわからず急に距離を置かれて、冷たくされたかと思ったらたまに温情を見せるかのように優しく接してくることもあって、どうしたらいいかもわからず「どうして?」とただ心の中で繰り返すようになる。
高校生のとき尊敬する人ができたが、そのころにはもう人というものは必ず少しでも人の弱さを見つけたときに幻滅するものであり、そのためにわたしは見捨てられるだろうという盲信が出来上がっていて
わたしはそのとても賢い人に全てを見破られ幻滅・失望されることをとても恐れ、そして妄想した結果、たまらずその人から逃げ出す。
そのようにして、臆病かつ病的なほどに自己分析と自己批判を繰り返す人の持つ他人の内面への寛容さというものを微塵も信じることができないわたしという存在は完成した。
きっと私にも悪いところがたくさんあったのだろうけど、こんな感じで最終的には自分でも気がつかないうちに人に本当の意味での弱さを見せることにすさまじい恐怖を抱くようになっていた。
弱さ。
人に責められる可能性があるものすべて。自分の浅ましさの露呈するような発言と行動、幻滅される可能性がある考え方、負の感情、誰かをただ好きでいたいという感情。
結果、出来上がったのは一見クールを気取った高慢ちきに見えて実際は臆病で人に媚びをへつらってばかりのいつもなにかに怯えている人間である。
人にどう思われるかばかりを考えて自分の好きなことができない、そもそももうそんなものわからない、ただ誰にも嫌われたくない、軽蔑されたくない、無視をしないでほしい
すこしでも「間違えた!」と思ったり、自分について(自分と対等かそれ以上だと認識した人間から)冷たい眼差しが向けられた気配を感じたりすると、冒頭のように、自分が生きている場所が、足場が、ガラガラと崩れ落ちていくような感覚に陥る。
それがとても苦しい。
いくらこんなのはただの妄想で現実じゃないと言い聞かせたところで顔を覆う手を膝に戻しておけない。首筋を何度もぺちぺちと叩いて正気に戻ろうとする。なんとか荒い息をしながら「忘れろ、忘れろ……」と無様に念じ続け、眠りにつくまでを自分の頭の中にスマホで大量の情報のゴミを流し込むことでやり過ごす。
ま、誰でもそんなもんか。
そんなものだよって、また言ってよ。
私をまた殺してほしいな。
感情も感覚も全て殺して。
間違えたことに対する赦し笑の言葉がたとえ訪れなくても、こんなもの忘れてしまいたいと念じているうちに次第に痛みは麻痺していく。
もう、大丈夫。と
それはでも根本的な解決なんかじゃないんだろう。もちろん、人の瑣末な態度や言葉に感情を大きく左右されてしまう時点で全く健全ではないんだけれど。
根本的な解決がいまだにできていないから、折に触れて再び顕在化された記憶に苦しむ。
言葉にして、理解して形がやっと与えられる。それまでは私の感じていることは私にとって恐ろしい姿で襲いかかってくる魔物のようなものなのだ。
感情の安全な発露には安全な場所か、あるいは筋の通った文脈が必要なのである。
だからおそらく私はこうして無駄な文章を書き続けているんだろうけど、それでも、そのことには終わりが見えないな。
カスみたいな自己開示をここのところの小瓶ではしまくってたので、もう、ここまで読んでくれる人はいないかもな。
それでも書き続けている。
バカみたいだね。
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