思ったことを本気で言うと絶対そんなつもりはなくても誰かを傷つけたり引かせてしまったりするようなことばかり考えてるし、だからずっと頭の中で意味もない考え事をグルグルさせてるだけの人生。だから作品を作る。頭の中がパンクしてしまいそうになるから言葉にできないものを言葉にする。映像にする。したい。だからと言ってわたしの考えてることが高尚で正しいこととは思わない。考えてしまうことは不幸だから。不幸じゃなきゃ人間は考えないから。不幸で頭の中が壊れそうになった時にはじめて人間は本当にものを考え始めるのだろう。それをトクベツなものだとか、そんなふうに言えてしまうのはそれこそ思慮の欠如だ、感性の劣悪さだ。だから、人にそんな不幸の代物を強要する人は本当は苦手だ。わたしからすればあなたにだって味わいきれていない不幸はあるのに、なにをそこまで偉そうに語れるのだろうと。あなたに他人様の何がわかるのかしらと。でも、こんな捻くれたことなんか考えずに選民思想に溺れた方がよっぽどラクだったかもしれない。いや、ラクだった。わたしはそういう偉そうな人間に対して義憤を抱いているわけなのではなくて、きっとただ妬ましいだけなのだろう。考えてるフリをしながら考えてない人間が羨ましくて妬ましくて憎らしい。と、語る自分にすら皮肉な疑念(つまり、そんな妬ましさを覚えるようなお前こそ何様だよということ)を抱いてしまうわたしはだからそもそもこのようなことを語ることを許されてはいないのだ。人にというよりは自らによって許されていない。だって、完璧に論理立てられた矛盾のない人を納得させられるような類の悪感情しか他人に対して発露してはいけない。と感じるから。しかし、そんなものあるのだろうか。ないからわたしは苦しい。だからそれをうっかり露出してしまったときにはあまりの羞恥心と絶望に死にたくなる。かくして、語ることは許されない。語ることはあまりに危うい。だから語ることのかわりにわたしは作る。つまり、そういうことだ。そしてそれでもこうして見るに耐えない醜い語りはたまにどころではない頻度で溢れ出してくるのだ。苦しい。人間が本当は大好きだ。死にたい。
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