楽しみに約束した予定も前夜には憂鬱。今さら断る理由も思いつかず、気の進まないまま出かければ、それはそれで楽しい時間になる。
あ〜楽しかった!と帰宅すれば憂鬱が待っている。
疲れてしまって何もできず夕食も取れない。
まぁ、いっか。みんなとランチしたし。美味しかったし。まだお腹いっぱいだし。
そして翌日の今日。
起きられない。
頭が痛い。
横になっているのに、めまいまでする。
昨日の楽しさは昨日のもので、今日はまた、いまや馴染みとなった不安と憂鬱に苛まれている。
何も変わらない。
思えば幼い頃からこんなだったなぁ。
そんな私を両親は、怠け者だ、親の手伝いを拒むひねくれものだ、女の子のくせにだらしがない、世間のコドモのように無邪気じゃない、可愛くない、コドモらしくないと散々けなした。
大好きなはずの親たちが言うのだから、私はそうなのだろう、と思った。
違う気もしたけれど、追い打ちをかけるように「ひねくれもの」「かわいげがない」「怠け者」と言われれば、そうなのかもしれないと思うようになった。
そうして私は希望を持たない人間になった。
ひねくれ者で怠け者でダメな私が考えることなど、ダメなことに決まってるから。
どうせダメな私が希望なんて抱いても叶いっこない。イヤイヤ、最初からそれではダメだ。叶えるのだ!全力で!
でも頑張って、叶えられなかったら失望が大きい、大きすぎる。
どうしても、先に失望の痛手を思い、願いも希望も夢も抱かないよう避けて通る癖がついたよ。
だから全力で何かに思いを注ぐことをしなくなった。できなくなった。
その感覚を忘れてしまった。
希望をいだいたこともあったけれど、うまく行かなかった。何ひとつ夢は叶わなかった。
私ひとりでは相撲は取れないからね。
頑張ってもなにがか間違っていたのだと思う。何もかも徒労で終わり、疲弊しきった私の抜け殻だけが取り残された。
こんな繰り返しの人生。
しんどいなぁ。
HSPの存在が分かってきて、でも相変わらずHSPには生きづらい世界。
世界は多様性に支えられている。
だけど、もう少しHSP寄りの基準で世の中が動くようになればいいのに。
生産性は落ちるだろう。
だけど、そんなに必要か?過大に生産し続けることは。
もう生産性や効率性を追求し続けた世界がどうなったかってこと、十分に証明されているではないか。
今の世界はいったい誰が夢見た結果だろうか。
だから、細々と団地のはじっこの敷地を借りて土を耕して種を蒔いたんだ。
丈夫な葉物野菜の種を。
小さな芽が日々、大きく育ちつつある。
太陽と土と雨が育ててくれる。
小さなひと粒の種を蒔いただけで、少しの手入れだけで、後は太陽と土が育ててくれる。
こんなに有難いことってあるだろうか!
心の中で思い描いた夢は確かにあった。
なりたいものもあった。
手にしたいものもたくさんあった。
でも何ひとつ私には力量が足りず叶えられなかった。
だけど、もういい。
私は何にもなりたくないのだと分かったから。
HSPとして生まれてきて生き続けるのは、そうでない人たちより本当に苦しいし辛いことが多い。
本来なら抱えなくて良い辛さが、まるで種のように体の中に散りばめられているから、社会や世間から受ける刺激で簡単に発芽して、空気に触れてそよいでは、小さなトゲが体を擦り傷つける。
それなら無風の中に生きたい。
攻撃的に生きなくてはならない世界から見たら、とてつもなく消極的かもしれないけれど。
安全に穏やかに暮らしたいだけ。
大きな楽しみは続かない。
だけど不安と絶望は簡単には消えない。
虚無的に生きることが幸せなこともあるのだと私は今思ってる。
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