初めて人を好きになったのは20代の半ばだった。
会社の後輩。
健気で努力家で不器用な所に惹かれた。
自分も不器用で生きることが下手な人間だ。
だから、当然アプローチも見当違いだったのは確か。
でも、嫌われてはいないのだけは知っていた。
それでも、結局は所謂「チャラ男」な先輩の恋人(の一人)になった。
世渡り下手な自分を包み込む余裕を持った男性が良かったのだろう。
自分にはそんな女性を扱うスキルも余裕も無かった。
そんなタイミングで転職し、もう会う事もなかった。
その後、自分に付きまとったのは「チャラくなければ愛されない」という思考。
今思えば「らしくない」事を大分やってきたが、女性の反応は確かに違った。
でもずっと「こんなの自分じゃない」という葛藤や後ろめたさがあったし、
「ホンモノ」には「ニセモノ」な自分が真似をしても勝てない事も分かっていた。
仮にそれで愛されても「ニセモノ」をずっと演じ続けるハイリスクを考えると、
一体どうして自分が人を好きになるのか目的さえ見失ってしまった。
口の上手い人間になりたかったわけじゃない。
駆け引きの上手い男になりたかったわけじゃない。
自分が楽しくないことを「楽しいフリ」をしたかったわけじゃない。
相手の言うことを聞いて願いを叶えるネコ型ロボットになりたかったわけじゃない。
劣等感と卑屈さで堕ちるところまで感情が堕ちた。
憎しみと嫉妬の塊の醜い自分。
「相手にとって都合の良い男らしさなんてそんなもの要らない」とさえ思った。
俺は誰かを満足させて接待するための道具なんかじゃないって思ってた。
運良く今は楽しめる趣味と仕事で生活がいっぱいになっている。
それでも「愛されない自分」という存在は心の奥でずっと燻っている。
初めて人を好きになってから5年経って何も変わってはいない。
変わったのは女性という存在がより苦手で狡猾な存在に思えること。
自分は「尽くせるタイプ」の人間じゃないと知ったこと。
そして、人の心を動かせない自分に対する自信を全て失ったこと。
誰にもなれないし、自分らしくても意味がないと知ったこと。
へばり付いて離れない無力感を感じながら今日も生きている。
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ななしさん
あなたがどんな人間でもいい。
どんな人間だとしても、何か一つ魅力があれば、私だってあなたに恋をするかもしれない。
個人的には、かなり親しくなってからそんな風に自分だけに弱音を吐いてくれたら、すごく好み。
でも、内心そんなにも自信をなくしているあなたの魅力って、普通に接していて見つけにくいんじゃないだろうか?
あなた自身が、あなたに魅力を感じていないくらいだもの。
この世界、大抵のことには「次」がある。
いつか、次の恋に落ちるかもしれないし、落ちないかもしれない。
まず、自信の持ち方について考えてみては。
抵抗する理性にも制御できないような恋が訪れた時に備えて、ね。
ななしさん
もっとご自分に自信をもたれた方がいいと思います。
別に女なんてもういい、とわりきったらいかがですか?
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