間違えてもいくらかやり直せるけど、それはこれから生きてくつもりがあるからだよ。間違えてしにたくなったらどうしたらいい。間違えない人生なんてありえないのも分かってるけどさ。
私なんでしぬって決めてんのにまだここに文字書いてんだろって思ったけど、たぶん自分への期待を一切なくすためだな。逃げ道を残さないため。よくやるなと思う。でももうそれぐらいの気持ちなんだ。
何が怖いって、自分でしのうとして失敗することが1番怖い。後遺症も怖いけど、なにより何でこんなことしたのって泣かれて問い詰められるんだろうなって想像できる。ぶん殴られるかもなあ。ある意味しあわせなことだよね。でも私もうそういう段階じゃないんだよ。何が何でもしにたいの。もう生きることをあきらめたいの。これからのことに希望とか期待とかしたくない。全部終わりたいよ。
小学生の頃から何かあったら言うんだよって親に言われてきた。いい親だなって本当に思う。思うけど、じゃあ親自身のことで何かあったとしても、自分たちは受け入れないだろうな。贅沢言うな!とか甘えるな、で終わり。そしたら何にも言えないよ。聞いてもらえないのに言うわけないよ。口に出すってことは、聞いてもらえることが前提なんだよ。
高校を休みたいって言えたとき、私的にはそれを言うことができたこと自体がもう頑張ったんだよ。言えたっていう達成感があって、もう他はどうでもよかった。達成感はあるけど誰からも褒められないし。だからそのあと理由をきかれて、うまく言葉がでてこなくて黙ったまま泣いて、泣くのやめろって言われても耐えられた。本音を言いそうになると涙が出てくるのだって親は分からないから否定されて、でも頭が沸騰するくらい腹立ったけど本当にあのとき頑張った。
仮にじさつに失敗して、助かって、なんでこんなことしたのって聞かれても絶対言わない。絶対絶対絶対。どんなことを言われても、泣かれても、そこが私の踏ん張りどころだ。耐える。
しぬ日を決めてから寝てばっかりになった。布団の中が1番落ち着く。起きてると、バレたらやばいなあとか、しんだあとのことを想像しちゃうから。やっぱり楽にはしねないよね。でも少し前に母が老後の話をしてて、年金暮らしになったらネトフリとかサブスク系やめるらしい。そうなったときのために小説とか本を取っておく!みたいなこと言っててちょっとだけホッとした。私がしんだら本とか漫画とか残るのどうしようかな〜って悩んでたから。漫画はしぬまでに少し売ろうかなって思ってるけど、本は親が読んでくれるなら思い残すことない。読んでくれたらちょっと嬉しい。
あと数えるぐらいしか、母の料理食べられないんだって思ったら泣けてきた。しにたいくせに。心がばらばらになってる。ほんとうに何がしたいの。
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