さて、私の話をしましょう。そんなくさい文言で始まるこの文章は、私の門前より紡がれし遺言であります。
私は、母と父、そして兄のいる家に生まれました。裕福であったと存じます。金にも衣類にも食にも困ったことはございません。ただ、愛情という不可視なものに私は飢えました。
子供の義務は母を愛することにあると私は信じて止みません。母の教えた神がおっしゃった通りでございます。だから母は私を愛するものと信じておりました。しかし望んだ愛と異なればそれは愛とはなり得ません。
出来損ないなら産まなきゃよかった。私はこの言葉を生涯引き摺り、私を無価値にしました。
愛するに値せず、期待するに足らず、子として人として生まれながらに不出来だと、言葉のままにその言葉を信じました。
私は不出来ですから、母を正しくは愛さなかったのであります。互いにベクトルの誤った愛情を傾けて、傷つけあったことと存じます。
私はまた、幼少より野蛮さの浸りました。
金も家もあるそんな家にも心貧しい人間は住まうものです。立てられる大きな音も、殴られるのも蹴られるのも、不快なのも痛いのも私は嫌いでした。男は皆野蛮なものと学んだものです。
ずっとこんな場所に囚われるなら死にたかった。この歳まで生きたのは、私の怠惰がもたらした幸いなのであります。死を恐れ、未来を剥奪されるを嫌った結果です。しかし最近までずっと片隅ではもっと早く、あの時死んでしまえばよかったんだと考えることがありました。
中学受験をして進学後、私はやっと物心に近いものがつきました。外の世界にあたり、友人を作り、グループに所属し、やっと人らしい人格を得たような感覚を得ました。
十数年間を用い積みあげた弱い地盤が徐々に否定されていくことが、怖いと感じていました。
今までの全てこれからも何もかもがおかしく、これに愛も幸福も光さえないと察しがつきました。
それでも友人は素晴らしい存在だと、ここから10年近く私は恵まれました。ただの1人の人間として免罪符をいただいているように感じていました。やっと親愛をいただけたように思えたのです。沢山の楽しいと、嬉しいと、居心地の良さをいただきました。同時に嫌われることへの危惧と無価値な自らへの差を感じざるをえませんでした。いつ、この子らのいらない存在になるやもしれないと、気を張り、疲労と自己嫌悪を繰り返しておりました。
私の人格には固い地面が存在しないのです。
色のない紙に人が色眼鏡で色を見た。それが私を構築していきました。生き物が好き、ものづくりが好き、絵を描く、自然が好き、おかしな子。私は1人では何もし得ないただの白紙を、丸められ放ったられているようなものです。
虚しい、惨め、ただそれだけが煙のように循環して内を燻っている人生は私にとっても無価値なものであります。
決して一言に幸せだったとは言えない人生ではございましたが、私はこの人生に確かに、光をみました。生まれたことを後悔しない時間をくださった。惨めを忘れる瞬間をくださった。ただ笑える晴れ間もくださった。ですから、私はこのご恩をいずれ返すべきでしょう。
そこで、色眼鏡を覗き返すうちに、一つの考えに至りました。
どうか皆さんには、私の居ないこの先を差し上げたいということです。
私という奇妙な存在は、微かな害にはなり得たとて、利を与えることはないでしょう。しかし確かに皆さんの頁には記され、居る者として記録されているわけです。
どうか、徐々にでもいいので忘れて欲しいのです。皆さんが私を忘れさった時、そこには確かな正しい日常があることでしょう。
私がこの人生をかけて導いた答えはやはり、私自身がこの世界にとって不要というものでした。ふざけた人生を私は生きた。
わかるでしょ、お母さんは可哀想でしょ?ええそうですとも、故に私も可哀想です。あなたの生き写しとしての存在意義を全うしたのですから。こんなものに囚われて脱しようともしなかった。愚かで惨めな私を、どうか無くしてください。
こんな私に友人の称を与えてくれて本当にありがとう。皆さんの未来がどうか平和でありますように。
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