とある映画の撮影における騒動についてのネットニュースを見た。
その映画は暴力や性的な表現が含まれているため、出演者から外部の専門家を入れて欲しいという要請があったそうだ。その専門家は、演者に強いストレスを与えうる性暴力シーンの撮影に際して、監督や脚本家と演者の間に立ち、作品性を損なわずに人権保護を行う事を得意とする人物であるそうだ。
しかし、監督側はその専門家が撮影に参加することを拒んだという。この決断に対して『出演者への配慮が無さすぎる』『映画人特有の思い上がりだ』といった批判が多く寄せられているそうだが、監督側のメッセージとしては『そのような外部の人間を入れなくても、自分達がしっかりしていれば出演者が傷つくようなことにはならないはずだ』という主旨の事が書かれていたと記憶している。
自分が受けた印象を上手く言葉にするのに困難を感じているが、ふと思いついたのが『世の中は悪人だらけという訳ではないけれども、理想的な環境が手に入る確率・良い人達に恵まれる確率というのは決して高くはない』『そして、理想的な環境や良い人達の存在というのもマネタイズ出来うるものなのかもしれない』という2点だった。
例えば、あなたがたまたま入った会社(多少なりとも就職活動などにおいて努力はしただろうが)の社長が『うちは良い人たちばかりで、みんなとてもしっかりしてます。ハラスメントとか劣悪な労働環境なんてものは、うちの会社には決して存在してません』と言ったとしたら、どう思うだろうか。
その通りであれば有り難いだろうが、馬鹿正直にその言葉を信じるのに抵抗を覚えないだろうか。
あるいは、あなたが学生だとして、校長が『誇り高き我が校に、いじめや非行の類いは一切ありません』と言ったら、ウソをつくなと思わずにいられるだろうか。
誰だって、理想的な環境や、善良な人ばかりの世界を求めるものだ。しかし、それを周りに期待するのも馬鹿げているし、『渡る世間に鬼はない』なんてスタンスで世間を平穏無事に渡っていけると考えるのは自殺行為に等しいとすら思える。先の映画の出演者だって、本当に監督側が『そのような映画の撮影において、理想的で完璧な立ち居振舞いが出来る』と考えるのは危険だと思ったから、外部の専門家を入れようとしたのだろう(それに対して監督側が、自分達を信用してないのか? と腹を立てた可能性もあるにはあるが)
『三丁目の夕陽』のように、貧しいけれど周りはみんな良い人たちといったコミュニティは、いずれ絶滅危惧種になることだろう。もうなっているのかもしれないが。
積極的に危害を加えてこなくとも自分にとって有害になるような人間を遠ざけるために、第三者の知恵や力を借りたり、より良質とされるコミュニティに移ったりという行動を取ることが、これからの時代を主体的に生きる人達には求められてくるような気がする。当然そこにはお金のやり取りで成立する関係が発生しうる。
今はやろうと思えば何でもマネタイズ出来てしまう時代だ。
ちょっと人より知識があったり、美的感覚に優れていたり、情報伝達力や言語化力に秀でていたり。時には傷つきやすさや繊細さもマネタイズの対象になりうる。
人生は、どれだけの努力が出来るかや、どれだけの才能に恵まれているかよりも、『ちょっとしたことを出来るか、知っているか』によってその後の境遇を左右されてしまう局面が多々あると思うし、そのような場合には尚更、『お金によって動員できるもの』に助けられる機会は増えてくるのかもしれない。
これはある意味、決して悪いことではないと思っている。たまたま恵まれた環境が与えられなかっただけでその後の人生に大きな負債を抱え込む羽目になるよりは、幾ばくかのお金でより良い環境に乗り換える事が出来るようになるのだから。お金さえあれば、『地方の公立中学の冴えないいじめられっ子』という立場から脱することすら出来るかもしれない。
しかし、お金で手に入れられるものは、当然だがお金をたくさん稼げる人が手に入れやすく、そうでない人には手が届かないものになる。愛とか、正義とか、尊厳とか、知性とか、優しさとか。そういったものがことごとくマネタイズの対象になり、必要な時にお金で動員出来るようになれば、一体どのような社会になるのだろうか。少なくとも、先の監督が言ったような『たとえお金で専門家を呼ばずとも、参加しているみんながしっかりしてて問題の起こらない場』なんてものは本当に消失してしまうだろう。タダで三丁目の夕陽的な人付き合いは手に入らないのだ。
支離滅裂な思考だと笑って頂けますと幸いです。
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ななしさん
文章化能力高いすね。好き😊
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