バイアスかかってる状態で接されたとして、フラットに思える言動をするのって難しいのかなあ……
確認のしようがなかなかないというか。
「私あなたのこと嫌いだけどあの時の言動は嫌いじゃなかったわ」
「私あなたのこと好きだけどあの時の言動は好きじゃなかったわ」
そんなふうに言ってくれて、フラットに見てくれてるんだなと感じられたとして。
ぼくの言動にそう思わせる力があった(努力が実った)のか、相手のフラットに見る力(努力)の結果なのか……
世の中にはいろいろと競う企画(テレビ番組とか)があったりして、審査員はフラットに見なければならないと思うわけだが、でもめっちゃその人の推しでどうしてもバイアスかかっちゃってさ……って時に、「あ、でも今のパフォーマンスはちょっと微妙だったかも」ってなったら「あ、やっぱ“人”じゃなくて“物事”もすごく重要なんだな」なんて考えられて…… そういう一連の流れに美しさを感じるというか、何を言いたいんだろうか私は。
たぶん私は、“私”じゃなくて“言葉”を見てほしいと思っているのかもしれない。あくまで今のこの思考の舞台上での話だけれど。
そして私は、普段“私”を感じている人に“私”を感じさせない言葉を提供することに興味があったのだろう。
それはいったいどういう言葉か。どういう表現か。
そういうことが気になった。そんな感じかなあ。
じゃあバイバーイ
お聴きいただきありがとうございました
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名前の有る小瓶
名前の有った小瓶 さんへ
お返事ありがとうございます。
なるほど、名探偵コナンか〜 確かに!
でもその、『子供』っていうバイアスを逆に?利用してたりもしますよね!詳しくないからあんまてきとーなこと言えないですけど……
yuki.
バイアスは正直どうしようもないものだと私は諦めつつあります。
名探偵コナンだって知識が大人以上で推理の内容が的確だったとしても子供の発言だからとして最初から信用してもらえない、だから大人のおっちゃんを利用して発言してるわけなので…。
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