持っている資産や、顔やアタマが人それぞれ異なっている以上、誰でも折り合いをつけながら生きていく事を求められるのは、ある程度仕方ないものだと思います。
田舎で生まれ育ったから、華やかな都会の私立大学に下宿して通うのは金銭的に厳しいと考えて地元の無名公立大学を選んだり。
外見に自信が持てないから、クラスのイケてるグループの子達と距離を取ったり。
心がときめくようなルックスや周囲に自慢できるような年収ではない人を結婚相手に選んだり。
多かれ少なかれ、そういう選択をしながら生きている人は多いし、そうでない人は『身の程知らず』『わがまま』と言われることでしょう。
一方で現代は変化の時代であり、今までの常識は通用しなくなっていると言われています。
『みんなが残業や休日出勤してるから自分もしなければならない』と考える、ある意味自分の意見を殺して周りと折り合いをつける考え方は、今ではブラック企業をつけあがらせる悪いものとされています。
専業主婦なんだから夫に強く言えない、なんて女性は昔は少なくありませんでした(私の母もそうでした)が、今は『倫理的に考えてそんなことは許されない』『むしろ家事労働の方が過酷。男の仕事なんて外で遊んでるのと同じこと』という考え方の方が正義とされています。
『太っていたりブサイクだったりしたらモデルやアイドルは務まらない』なんて事を今どき公の場で言おうものなら『容姿差別だ』『プラスサイズモデルに対するヘイトだ』と非難されかねません。
このような変化の只中においては、今まで『折り合いをつける』『妥協』を選択してきた人たちは、『愚か者』『自分で自分を強者の奴隷にしている』と軽侮されるのが自然な流れなのだと、頭では理解しています。
しかし、そうだとすれば、私は誰かが何かの権利を主張した時に、それを主張するどころか何とも思わない自分自身を『権利意識の低い人間だ』と常に批判し続けなくてはならないのでしょうか?
経営者からすれば、労働者の権利を盾にあれこれ注文をつけてくる社員よりも、『みんなが困ってるから』とサービス残業してくれる社員の方が『都合がいい』と感じるでしょう。しかし、後者の社員は『自分はこれでいいのか』と思わずにはいられないと思います。
男からすれば、フェミニストの発言や主婦向けブログの『こんな男はダメだ!! モラハラ夫の特徴!!』などの特集記事を持ち出して男の箸の上げ下げまで指摘するような女性よりも、ややおとなしめの女性をパートナーに選びたくなることでしょう。しかしこれは、見方を変えれば『無知につけこんだ搾取』ではないのか。
もしかしたら、権利とエゴイズムの区別がついてないからこんなおかしいことが書けるんだとお思いになられたかもしれません。しかし、特に日本では『滅私奉公こそ善。権利の主張はエゴと同じ』という価値観が根強かったと思いますし、そういう意味で我々は権利とエゴの区別をつけることは不可能なのではないかと考えております。
皆さんのお考えを頂ければ幸いです。
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ななしさん
折り合いや妥協というのは、「自分自身にとって、このぐらいがちょうどいいかな」という生き方の知恵だろうと思います。(金銭的に無理して都会の大学で苦労するよりも、田舎の大学でゆとりある生活をしたほうがよいなど)
自分の内心のことなので、他人への押し付けはできないし、逆に他人からどうこう言われる筋合いのものでもないと思います。
ブラック企業の件は、世の中から責められるのは、働いている人ではなく、その企業のほうです。
そんな企業の中では、折り合いや妥協をしなくてよいのです。労働局に相談したり、転職すればよいわけです。滅私奉公の必要はありません。
何が正当な権利行使で何がエゴイズムか、その区別が不可能というわけではなく、実際の個々のケースで話し合って結論を出すことになると思います。(大きな問題になれば裁判になりますが。)
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