そっか。そんな言葉で救われることもあるのか……なんて、時々思う。テレビとかインターネットとか見てたらたまにあるよね。救われたきっかけ、エピソード。
わたしもなんか、あるのかな……
いつもここでのお返事には救われている。
そう思う心はある。でもそう思わない心もある。
(肉体までは救われていない……そういうことかなあ)
ここで、書いて置いてあるのを貼ります。
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人からの褒め言葉に何も感じなかったとして。べつにそれでも構わないよね?
その褒め言葉を受け取ってわざわざ嬉しいとか感じなくたってべつにいいよね?逆に気に食わんくても大丈夫だよね?
褒められてポジティブになるほうが人生得だからそういう心になるべきだ……なんていう考えに従う必要ないよね……
時々、受け入れられない言葉はある。
もらっても困るやつ。自分の内面に通してそれがポジティブの方に行くか、ネガティブな方に行くかはもともとの性格とかその時の気分とか、なんか……いろいろあって。
ぼくの場合は、もらった1つの言葉を自分の中で分裂させてプラス方向にもマイナス方向にも仕分けすることがあったりしてややこしくって。
なんかね。いつだって、半分嘘ついてるみたいで少し罪悪感。誰かへの感謝の気持ちとかさ。
「死にたい」だって、そう。かもしれない……から。
もっと正確に言うとこれこれこうでこうだけど……というのを話すと長くなるから簡潔にまとめるのは悪いことではないはずで。だけど、省かれた感情からの抗議がうるさいんだ。あいつは堂々と表に出れるのに自分は駄目なんですか!!? 駄目じゃないけど、そのほうが空気悪くならないっていうか…… じゃあ自分は空気を悪くする悪いやつだ!って言いたいんですか!!?
そんな風になるから、こいつを落ち着かせるために冒頭のようなことを時々吐き出すべきだと思ってる。
こいつだけじゃなくて、もっと、たくさん……
ところでさっき私、中間管理職みたいだなと思ったの。
なんだっけ?イドとエゴとスーパーエゴがあって、自分(自我)っていうのはまとめ役で……そんな感じの話あるんじゃないっけ?心理学とかそっち方面のなんか。
【天使と自分と悪魔】のほうがわかりやすいかな。
(前にも天使とか悪魔とか書いた気がする)
他人と付き合うのも難しいけど、自分と付き合うのも難しいよね。
今日はこれでおわり。
またね