小学校の担任だったN先生。
最近、先生のことを思い出します。
小3、4、6と私の小学生時代の半分の担任が先生でした。
小学校の思い出は沢山あれど、その記憶の全てに先生がいます。
もう30年近く前だと言うのに。
当時は先生の年齢とか気にしてませんでしたが、私の両親よりは年上だったでしょうか。
男性が担任になるのが初めてだったので、最初は怖い先生だったらどうしようと思ってました。
でも先生はいつも優しくて、ニコニコしていて、ユーモアもあって、それだけじゃなく悪いことはキチンと叱ってくれて、今でも尊敬しています。
教師がみんな先生のような人ばかりだったら、今の教育現場で起きているいじめとか体罰とか色々な問題は起こらなかったのではと思います。
私は先生のクラスで過ごせて良かった。
教師ガチャ大当たりだったと思います。
ガチャではなく、先生のような人ばかりだったら、今苦しんでいる子達が救われてたかもしれない等と考えたりします。
先生のような教師になりたいと思ったこともありましたが、今の私はとても先生には見せられません。
先生のように優しくて子供からも保護者からも信頼されるような大人になりたかった。
どうしたら先生のような大人になれましたか?
もし先生が生きているのなら相談したい。
先生の言葉なら素直に聞けるかもしれない。
そんな風に思います。
私は優しい事を長所のように言われたり褒められたりするのは嫌なのに、先生の事は真っ先に「優しくて良い先生」だと思います。
私が先生に感じる「優しい」と
私が人から言われる「優しい」は
同じものではない気がするんです。
何が違うんでしょうか?
私も先生のような優しい大人になりたかった。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
yuki.
彩紗さんへ
私が親切か親切でないかのどちらかと言ったら、親切な方になると自分でも思っています。
それが思いやりや優しさといった道徳や善性によるものなのかはかなり自信がないです。
相容れないと判断した相手は蛇蝎のごとく嫌いますし、追い詰めたり陥れたり曇らせたい衝動に駆られます。
本当に優しい人間は誰にでも分け隔てなく親切に出来るのだと思ってます。
平たく言えば差別をしないはずだと。
私は差別をしている自覚があります。
嫌いな相手は差別してとことん嫌います。
そしてそれは人として当然で抗いようのない性質なんだと自分を正当化します。
先生はきっとそんな風に考える人ではないし、仮にそうだと考えていたのだとしても表に出さない人。
私はこうして表に出すから、先生とは違うって感じてます。
尊敬してると言ってもらえるのは純粋に嬉しいのですが、同時にこんな人間であることを申し訳なく感じます。
矛盾のない誰にでも堂々と誇れる人間だったら良いのに、と。
yuki.
うさぎさんへ
キャンディがずっと手元にあるのはすごいですね。
私の手元には卒業記念にクラス全員で作ったマグカップがあります。
先生とクラス全員の似顔絵と名前があって
『ずーっと 友達 で・す・ね』
なんてメッセージが書いてある。
今となっては誰一人連絡先もわからない。
そのマグカップを眺めてこの小瓶を思い出してまた開く。
そしてうさぎさんの返事を読み直して初恋を思い出す。
小1の時、文化祭で6年生と共同でお化け屋敷をやることになって、一緒の班になった6年生の女子(名前も顔も今では覚えていない)
小6の時同級生でいつの間にか片想いしてて、中1で自分が転校するまで結局告白出来なかったYKちゃん
最終日の帰り道で偶然一緒になって
『転校しても頑張ってね』
って最後に挨拶してくれた思い出。
どっちが初恋なんだろ?
小1の時は初恋というより憧れ?
なんて考えてたらうさぎさんの
『最初で最後の初恋』
を見て
『初恋に最初も最後もないのでは…?』
などと野暮なことを思ってしまいました。
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