自己肯定感という言葉を、最近は特によく耳にするようになった。自分には縁の無い言葉だ。
ダメな自分、特筆すべき成果を挙げられない自分のような人間が、自分自身を肯定するなんて、とてもじゃないが受け入れられない。それは逃避であり、現実から目を逸らす行為であり、成長を拒否するという宣言に他ならないからだ。
一方で、対人コミュニケーションの場面においては、この自己肯定感というものが『当然備えているべきもの』のように語られるのがとても堪える。
コミュニケーションがうまく行かない。
相手の意見を悪い意味で解釈する。
『人の本音はこうだ』というネットや書籍の情報を目の前の相手に当てはめようとしてしまう。
自分がどうしたいかが分からなくなるまで、自分を疑いまくる。
そして、こうした特徴に対して『自分に自信がないのが悪い』『自己肯定感が低いのが悪い』と判で押したように指摘を受ける。
あなたの自信のなさ、自己肯定感の低さでこちらを不愉快にさせないでくれ、といったニュアンスの言葉を頂戴した事もある。
自己肯定感とやらがない人間は、ここまで言われても耐えなければいけないのか。
その言葉を向けてくるあなたは、肯定されるべき存在なのか。
良くも悪くも情報が溢れる社会で、誰もが正しさやこうだからこうなるという等式を使う。
だけど、本当にそうだろうか?私は貴方が疑問を持つことは、今の情報社会には大切な疑問だと思います。確かに心理学的にとか色々あるかもしれません
。ですが、全てそうだろうか?この世界に自分を含め様々な生まれや環境、経験・・全て違う人間で構成されています。
あくまでも私の勝手な考えですが、自己肯定感が無いからああだこうだって・・確かにそういう弊害はあるかもしれない。だけど、それを危惧して真剣に考えるのならば、自己肯定感が低くてもどうしたらその弊害を減らせるか?って考えると思うのです。低いからダメ、自己肯定感を上げましょうで上がるのなら、こんなにも皆、苦しくは無かったはず。
低くてもいい!認められない自分がいて当たり前だし、何でも全肯定が誰にでも有効では無いと思ってます。それよりも、自己肯定感が低くても弊害を減らして、生きやすくなるようにする方法が合う人も沢山いると思うのです。
正解なんてないこの世界。これからも貴方の疑問は違和感は大事にしてください。そして、そんな自分を卑下しないでください。目にする情報を何の抵抗も無く受け入れてしまうことの方が、貴方自身を殺してしまうことになる要因になるから。
誰かの等式は貴方の等式じゃない!
貴方のように素直に疑問に思える人がいて良かった
ありがとう。