あるゲームでこんな感じの問い掛けがある。
「私が今からあなたの大切な恋人を殺し、消滅させます。その後で恋人と全く同じ姿、全く同じ記憶、全く同じ能力を持ったコピーを作り出したとしたら、そのコピーを同じ人間として接することが出来るか?」
仕事で資料とかコピーしてもどっちがオリジナルでとかどうでも良いし、同じものだったら何もきにしない。
でもキャラメイクする系のゲームで最初に作って育ててきたキャラクターがいて、途中で育成をし直すとき、キャラを削除して同じ名前、同じ菅田で作り直すのと、ゲーム内コストを支払って成長をリセットして1から育て直す、って選べるとしたら心情的に後者を選んでしまう。
最終的なデータ上の性能は全く同じに出来たとしても、そのキャラクターを操作してきた愛着があるから削除するのは惜しくなる。
この感覚ってどこから来るんだろう?
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
感情×時間=愛着
恋人=愛着=感情×時間
よって
恋人≠恋人(コピー) と認識するか
恋人≒恋人(コピー) と認識するか
恋人=恋人(コピー) と認識するか次第で
その後の接し方が変わる。
元のキャラクター=ゲームコスト作成キャラクター
と認識したのなら愛着。
元のキャラクター≠ゲームコスト作成キャラクター
と認識したのなら、その後の感情はその後次第。
人や生き物のペットに関しては
恋人=恋人(コピー)と
認識しない方が倫理観的に良さそう。
命は一つと思った方が、互いに互いの命を大切にしようとすると思うから。
恋人=恋人(コピー)と考えるのが普通になったら、命が軽くなってしまう。
ロボットのペットやぬいぐるみの場合、
恋人≠恋人(コピー) と認識するか
恋人≒恋人(コピー) と認識するか
恋人=恋人(コピー) と認識するかは
個人差があっていいと思う。
ロボット=愛着=感情×時間=命
と思うのも個人差。
皆が、認識には個人差があると理解する必要はあるけど
ロボット=命 か
ロボット≠命 かの議論を皆でするのは不要。
ななしさん
キャラを削除する、コストを払って成長をリセットする、という二つの選択肢から後者を選ぶのは、私たちが物語に愛着を持つからじゃないかな?
前者では今までの積み重ねが消去される一方、後者には今までの物語が存在したまま存在し続けるような気がする。
前者を嫌がる人でも、例えばシナリオの途中で「私が生きていることが敵に察知されてしまうとまずいことになる。今すぐ私のキャラデータを消して、今と同じところまで成長させて」みたいなことをキャラに言われたら、データが消えようがキャラが1週目と同じ挙動をしようがデータを消してしまえると思う。
キャラクターから働きかけられたという物語がそこに発生して納得できるから。
キャラを消すという行為自体は変わらないのにね。
ななしさん
面白いですね。中古のゲームとかに他人のセーブデータが残ってる時あると思いますが、一から始めて同じ内容になっても、なぜか別のように感じますね。
映画とかもそうです。今でも生きてる人がでてきますと別に気にしないですが、もうすでに亡くなった人がでてきますと悲しくなってきて心理的に見たくないと思いますね。
だから先入観が変わるからだと思います。
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