ここ何年か、年始に
書き初めをしている。
その年の自分なりの
テーマや抱負を書き、
1年間壁に貼る事にしている。
子供の頃10年くらい
書道をやっていたから、
その時を思い出しながら
毛筆で半紙にちゃんと書く。
過去には
「進」「与」「素」「然」
などいろいろ
漢字一文字で書いてきた。
2023年の書き初めは
一文字ではなく
抱負っぽくも無いけれど
「大丈夫」と書いた。
今年の私は厄年だったから
これにしたんだったか。
寝床から見える壁の
掛け時計の横に貼ってたから
就寝時、起床時、部屋を出る時
無意識的に視界に入る
「大丈夫」。
書き初めの作用かはわからないが
今年に入ってから私の中身は
ちょっと変わったように感じる。
私は成人してから割と最近まで、
子供時代の話をする時に
「子供の頃」という
言い方をするのに抵抗があった。
それは心のどこかに
「まだ自分は十分な大人ではない
まだ子供の自分がいる」
という気分があって、
「子供の頃」という言い方をする事で
子供の自分を「終わった過去」として
切り離して次のステップへ行く、
ってのが出来てなかったんだと思う。
「今の自分は子供ではない
大人である」と言い切る
覚悟や勇気がなかった訳だ。
だからいつも
「幼稚園の時」「中学生の時」
といった、やたら具体的な
言い方をしていた。
でもそういう未練が無くなった。
それはなにも
「我は大人様なり、エッヘン」
といった気持ちではなくて
やっと大人としての
社会からの扱いや風当たりを
受け止める心の覚悟がついた、
肚が決まった、
そういうのに近い感覚。
そしてそれは
何が来ても慌てずに
どっしり構えてられる
安定感のある状態
って事でもなく、やっぱり
それなりの事があれば
ダメージは受けるし、病んだり
落ち込みもするんだが
とはいえ、それを今は
「大人の自分」として
受け止めていて、
子供の気分で受け止めるのとは
物事を受け止める時の
手触りや質感が全然違う。
なんとも説明しがたい感覚だ。
自分の中に
親子くらい年齢の離れた
2人の自分がいて、今までは
子供の自分が視点の主導権を持って
物事を見て受け止めていたのが、
親の自分の視点の方に
主導権が切り替わったような
感覚が、なんとなくある。
大人から大人扱いされるのが
怖くて、
ちょっと手加減してもらえる
子供の立場に甘んじていたい
という逃げ腰な気分が
ズルズルズルズル、ずーっと
20歳超えた後も
30歳超えた後も
自分の中にしぶとくしぶとく
あったのが
やっとこさ今年断ち切れた
そんな感覚がある。
周り中から
「遅すぎだろう」と
突っ込まれそうだが仕方ない。
確かに遅いと思うけど、
今更やっとなんだ。
そして
ズルズルと引きずっていた
子供の立場でいたい願望を
心の隅で未練たらしく
引きずらなくて良くなると、
意外と心が楽だった、という事にも
今の状態になってみて気づいた。
「吹っ切れた」って
この感覚の事を言うんだな。
開放感というか。
そういう私に起きた変化が総じて
「大丈夫」って事だったのだと
思いたい。
来年の書き初めには
どんな文字を書こうか。
あまりに高尚な事を書いて
自分にプレッシャーを
かけたくもないし
後ろ向きな設定にして
甘んじたくもないし。
既存の言葉でなくても
創作した架空の熟語でも
良いかもしれないな。
いつも筆を握って
その場で考えるから
その時の閃きに委ねよう。