一年と少し前に普通科の高校へ入学して人数は少ないですが活気のある演劇部に入部しました。一年の始めの頃から友達にも恵まれ今も色々なことを経験しています。恋のスタートは新学期の始まりたてで自己紹介の時に私の好きな人、あの子が珍しい名前でなんとなくではありましたが直感で推しにしようと思ったことでした。偶然にも、話し掛けてくれた子が同じであることと同じ部活に入る仲間という繋がりからそこそこに話すようになりました。互いに下の名が馴染んでからは何でも大体できてしまう器用さに憧れたり嫉妬したり、麗しいやかっこいい、可愛いだけじゃない「映える」あの子の言動に私の心情としては波乱万丈でした。しっかりと自覚したの自体はその年の冬の始まりの頃、自分の言動があまりにもあの子に対して腑抜けたものだと認めざるをえないことが増えたからでした。昨年度の春に部活の代替わりがあってあの子は部長に、私は副部長に任命されました。二年生になり新入部員(二年生二名)を引き入れいくつかの公演をこなし、今は高文祭に向けて頑張っております。高校生活も慣れてきて改めてあの子の交遊関係の広さに心配しつつも親友としての話であったり距離感であったりには優越感を覚えるというか安心します。
あの子は日頃から好奇心旺盛で多くの知識を持っておりその幅は本当に同じ年数しか生きていないのか自分があまりにも愚かなのかを考えさせられます。また運動神経が良いので体育の時はピンチヒッター、その道のプロ、ヒーローみたいなものです。それに反して相手の真似をして動くと言うのがとても苦手らしく何かしら必要なダンスはいつも一人で阿鼻地獄を作っています。友達の一人曰く、能力が高すぎるがあまり不必要な動きまで加えられるのでそれによって自分でも分からなくなっているのではないかと言うことです。部活では演技力も去ることながら脚本を書く能力も秀でており部長と言う役職も相俟ってではありますが脚本家ちゃんが基本的に部員全員に見せる前に確認してもらっています。もちろん器用なため小道具も大道具もお手の物です。時々ふざけて遊んだり何かしらを解体したりしますが大部分としては本当に良くできた人です。
それに反して私は基本何もできません。強いて言うならあの子や友人から慈愛の心を持っている、お母さんみたいと言ってもらえたぐらいで平均できたらいいほうみたいな人です。述べたようなイメージを持たれる理由といたしましても気を精一杯遣うことや労い、予定の可視化、感情的な人の対応と言うような誰でもやろうと思えばできることを代わりにしているだけなのです。根本としても皆が納得して楽しめられたらそれでよしという甘い考えで生きています。
長々と懇切丁寧に紹介させていただきましたが要するに私はあの子が心の底から好きなわけです。しかし私はあの子への思いを自覚しあの子を独占したい自分を一番に好きであって欲しいなんて考えると同時に、あの子はこの先の人生で交遊関係にしろ恋愛関係にしろもっと多くのいい人間に出会えるであろうことを確信しています。友達や同じクラス、部長であることなど多くのしがらみを取っ払い勇気を振り絞って思いを伝えたとしても相手にとってデメリットしか産みません。それこそ一番嫌な形です。
私は自分の独占欲や相手への一方的な期待などの不純物を多く含んだ心を持っていることを自覚しているとともに未だに掌握しきれぬ大きな感情もあることを自覚します。もともと私自身重たいと言われる部類であることは分かっていましたが今はあの子が男子と話すだけでなく一年生の頃からの友達と話す時でさえ嫉妬の念を抱きます。
遅れてしまいましたが部活は公演に関して言うならば脚本を自分達で書いて自分達で演じると言うのが大体です。なので部活には部長や副部長とは別に脚本家という役職があります。私がこの二年の間で見た他の高校さんの様子は部長と脚本家とを両方している方が多いですが、私が所属している部活はあの子と脚本家ちゃんとで分かれています。この理由としては決めた当時の部長、副部長になれる学年の人数が少なく四人で三人に役職を着けてもアンバランスになりますし、あの子の能力が高いこともあったんだと思います。脚本家ちゃんは部長職に憧れておりました。それとは別に彼女には色々と問題とまではいきませんが警告行動が多く人見知りもあったので前代部長も脚本に集中して貰いたいという背中を押すような思いであの子を部長にしたのだと思います。
この脚本家ちゃんの度々起こす警告行動については一年生の頃から今に掛けて問題に近づいており、また自分達で部活を回していくということもしなければなりませんでした。部の人間関係はもともと仲良し友達グループだったのが泡のように消えて地面の亀裂が走ったアスファルトです。もとより相手の意見と自分の意見を正確に理解して言語化しなければならないことが必須で衝突の起きやすい部活ではあります。ですが今はあまりにも女の子特有のあの雰囲気が付きまとっています。特別仲良くしたい子としかお話ししないみたいな排他的な意思を感じます。脚本家ちゃんは部長と一人の部員を敵対視し拒絶しておりますが、部長とその部員はあくまでも意見を言っているに過ぎないのです。その意見がまだ彼女のなかで育っていないので必要ではないところをつつかれたような気持ちになるのでしょう。
私と残りの部員は取り敢えず彼女の意見を知ってから話すを徹底しておりましたので考えていないと言われた箇所にはこういうのはどうかと種を蒔いたり、意見がほしいと言われた箇所には自分の思ったこととして水をまいたりしてきました。そんな必要最低限のような形だったからこそ彼女に中立どころか味方として受け入れられています。しかして私はあの子ともその部員とも一年生の頃からの仲で友達であり、二人とも互いに愚痴や相談なんかもしているのでとても彼女の言動に納得はしていません。ただ人間関係であると二人の意見も彼女の意見も相互に行き交うように調整できると言うことは理解しています。
正直なところ私は中立であり人間であり恋をする豚でしかないのです。中立なのでどちらかだけに肩入れするような意見は言いませんがいいと思ったほうに傾きます。人間なのでミスもありますし全てを一度で理解することはできません。所詮恋する豚なのでただただ醜いように見えるでしょうし、心に憎悪の念が渦巻くことだって日常です。
このような部活環境では部員全員に精神的にも肉体的にも災いが多く体を壊したという話は定期的に出ます。特に敵対視されている二人は疲労が相当なものらしく話を聞いていると思わず声が出ます。脚本家ちゃんの警告、問題行動の数々から謎の生態まで様々ではありますが共通して責任を持たないところ、人の意見を軽く見るところ、憚れるようなスキンシップが多いところが災いしているみたいです。手っ取り早い話、相手にしなければいいのですがそれはそれで人間がこれまで築いてきた道徳心に泥を塗るように感じるので何とも言えないです。
こんな部活のパワーバランスのお陰で今はあの子との時間は学校生活の中だけで部活になるともう一人の子が隣でだいたいを過ごしています。私的なことを言うならば県大会やら次の大会やらの脚本よりかも今すぐあの子の隣に戻ることを決議して欲しいものですが、どうやらあの子やもう一人の子にとって私は壁として直接の衝突を避けてくれる存在らしく役に立っているらしいので必要最低限はこなすようにしています。
私はここ最近になって思いを伝えたいと思うことが増えてしまいました。当初こそ誰にも明かさず死ぬまで墓に持っていこうと思っていましたが相談したり恋ばなしたりで結構に話してしまいました。それくらい決意は簡単に揺らがす私ですので思いを伝えるだけなら、あの子なら許してくれるのではないかという甘い考えを持ったわけです。勇気も根性も無い私にはどちらにもなれませんが。
私は何も付加価値がありません。作るしかないのですがそれには少なからずそれに見合う土台が必要です。なので私はいい人間になりたいと思ったのです。だから友達の、特に脚本家ちゃんの話を親身に聞いて、色んなサポートをして、サポートができないときでも自分がやるべきことはしっかりこなしてサポートに感謝と謝罪をしていました。結果としては利用されて終わりでしたが。でも利用されるという形で上手く生きていけるなら死なない程度で長いものに巻かれておこうと思います。その間にシロナガスクジラまで成長でもして長いものから離れたいです。
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そこまで気を使う必要はあるのかな〜
その脚本家さんに才能があるのなら
ある程度は仕方ないけどさ〜
脚本家さんは部長に選ばれなかった時点で
まとめ役には不向き=
コミュニケーション能力で劣るって
自覚してもらわないとね〜
コミュニケーション能力って大事。
別の才能があっても打ち消しちゃうぐらい。
キミは副部長さんだったね。
部長職っていうものは
全体を向上させるための
嫌われ役でもあるんだよ。
キミは調和を大事にしすぎて
全体を向上させることを忘れていないかい?
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