誰かに向けていった大好きも、結局は自分が言って欲しかった言葉を自分に似てる人に言って、自分自身を慰めてるだけだと、そんな風に最近思ってしまいます。
きっと、私は私がいちばん大嫌いで、私は私のことがいちばん大好きなのです。
大嫌いで大好きな自分に似てる人へ向けて、「大好き」ということで、許しているような、満たされていくような気がするんです。(これは恋愛感情に限らず)
こんな好きなんて、とても傲慢で恥ずかしい。
友達だなんて、言えない。
こんな私と友達でいてなんて、言えない。
横縞な中途半端な感情で人を好きになることすら罪に思えてくる。
誰かに懺悔して、断罪してほしかった。
なんて自分勝手で自己中なのでしょうか。
許されるはずもないのに。
私はまだ誰かを思って泣けるのでしょうか。
それは自分自身に許しをこうためではなく、その人のために。
私は…
どうしたらいいのでしょうか。
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ななしさん
私は、誰かに慰めて欲しかったその言葉を、
あなたが、あなた自身に
よしよし、って、頭をなでながら言ってあげてほしいな
と思いました。
嫌いな自分も、嫌いなまんまでいいと思います。
それも含めて、
私、この面やだわ~っていいながら、
頭をなでていたわってあげてください。
自分にやさしくする癖がつけば、
いろんな事の見方が、自然に変わっていく可能性があります。
四季が徐々に移り行くように、自分の意志とは全然違う
もっと深い部分が自然と動いていくと思います。
誰かを思いやったり、やさしい人になるのは、
それ以降の自然発露だと私は思いました。
まいたん
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