体を「動かそう!」と思って動いているのではなくて、
動いているから「動かそうとしているから動いているんだ」と頭が錯覚しているとする。
体より思考が優位を保とうと、「この体のパイロットは私であり、自動操縦の体にただ乗せられている存在ではない」と必死で思うも、はたして真実は?
たとえば
死にたいのに道路に飛び出せない理由が、「本当は死にたくないから」だなんて頭の言い分は、体にゃ関係なくて。
そこに理由など無く、無、0(ゼロ)。ただ生存本能として道路に一歩踏み出さないだけなのに、体の主導権を握りたいヤツは、これでもかと理由を並べ立てはじめる。
「危ないから」「迷惑だから」「痛いのは嫌だ」
思考を持たない体としては、そのどれもが「 」
さっき真実を問うたが、正直それはどうでもいい。
どうでもいいというか、真実や正解は存在していてもいいが、それで話が終わってしまうことは避けたい。
さっさと結論を出して終わらせたい議題もあるけれど、もうすでに研究結果が出て証明完了されてるものをまだ話していたいことだってある。「それは納得した。だがその研究結果が間違いだった場合、この議論はまだおわるべきじゃないだろう?」と。いうめんどくささがワタシにはある。
これは、ただ『お喋り好きなだけ』と捉えてくれて構わん。
特に『ひとりで延々と喋っているのが好き』なのかもしれない。
会話じゃなくて、個の意見を出すだけの場。
ディベートだとかディスカッションではなく、ただ己の言葉を出して終わりの空間。
これが、ワタシと相性がいい、自分の居場所なのかもしれない。
問題は、人がいると、どうしても気遣ってしまうことだな。
永遠の悩みだ。
ところで体と脳の話はどうなった?どっかいったな……
なんでしょうね。自分(己の身体)が自殺をしてくれないことに理由を付けようとしているけれど、必要あるか?ということを書きたかった?
まあ、必要あるなしではなく自然と思考が働いて脳内にあらゆる言葉(理由)が勝手に浮かんでしまう……
浮かんだことを問題や悩みとして捉えるが、そもそも浮かぶこと自体が問題であり悩みではないのか。
だがわたしはこの思考無くして、はたして『わたし』と呼べるだろうか。それは『ヒト』という生物であり、『わたし』はこの思考をもって『自分』ではないのか。そして『自分』であるからこそ『自殺』が可能ではないのか。
『人生』を過ごすのは『ヒト』でありゃできるが、『自分として生きる』なら体は脳と共存(共生)すべきか。
……あかん。なにいってるかわからんなってきた。
今日はこの辺にしといたるか。
考えんの疲れるしな。
ほな、さいなら
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
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