昔の宛メを知らないから、変化したのかわからないけど、最近は友達をつくる流れがあるね。
自分的にはわざわざ「友達になりましょう」で、友人にならなくとも仲間(とも)という存在でいいのかな~とか思うのだけれど……やっぱりなんか違うのかな。
なんか、申し訳ないのがさ、
ぼくの『ともだち』の感覚と、相手の『ともだち』の感覚が絶対違うから、「友達なのに……」って失望させちゃうことね。
たとえばつらいとき支え合うのがあたりまえだとか、
話を聴く、聴いてもらうのが基本だとか……
そういう風に思われているとお互いきついかもしれない。
喧嘩しないとか、傷付け合わないとか、
互いに優しくあることとか……
『ともだち』っていうものに理想を付与して、それを押し付けて「友達になりましょう」だと上手くいく気がしない。
わざわざ友人関係を築こうと思って接するより、なんとなく話してたらそれっぽい関係になった……くらいが個人的にはいいかなあ。
ってか考えすぎる傾向があるから、なんだ『ともだち』って? って、なる。
ただの名称だよね。『こういう関係にある人物のこと』の呼び名として存在しているだけではないのか?
その、『鶏が先か、卵が先か』みたいな。
「友達になりましょう」から友へと近付いていくのか、
自然と友へと近付いて「友達になりました」なのか。
あ、気持ち表明?
仲良くしたいですという表れなだけであってやはり『ともだち』というのはただの単語であり、そこに特別、自分に対して優しくしてくださいとかそういう意図は……いや、あるのか?
『死にたい』の中身探るのと似たような感じ!ちょうど4文字だし!
皆、たった数文字に色々思い込めすぎなんだって!
でも、そう思っているのはボクだけかも!?
わかんない
わかんない
わかんない
よし、いったん休憩!
そしてこの話はおわり!
みんな仲良くしろ!
そして平和に暮らせ!幸せになれ!
以上!!!
さよならばいばい
また明日~♪
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私個人の感想ですが、
大々的に友達を募集してる人は、自分から特定の誰かに声をかけるのが苦手だから、自分に興味を持ってくれそうな人を友達募集で募ってるのではと思ってます。
ただ募集してる小瓶を見ると、小瓶主さんの言うようにともだちの定義が明確でないと思います。
相互フォローしてれば友達なのか
自分の小瓶に返事をくれたら友達なのか
悩みとか関係なく雑談できたら友達なのか
友達の定義が曖昧でもそこに責任とか発生しないから敢えて確認もしないんですよね。
それこそ親友が何人までとか決まっていないように。
これが結婚相手だったり、相互フォローできるのが5人までだとか責任や制約があるものだったら、もっと慎重に相手を見極めると思いますし、気軽に友達だなんて言ったりしません。
友達の作り方は人それぞれですが、私は自然とやり取りしていて、それが結果的に友達関係になれば良いかなと。
ななしさん
確かにそうかもしれませんね。
以前の私は、そうでなかった…と言うか、
裏切られ続けたんだよぬ。
その先で、自分が理屈で防護してしまうようになったのかもしれないです。
友達とは、本来なら選ぶものではないのかもしれない。
もっと楽なものかもしれないし、
子供みたいに無邪気な自分でいたい気持ちもする。
アドバイスありがとうございます。
ななしさん
カテゴリとお知らせを読めば宛メがどんな場所か大体見えますよ。興味があったら読んでみて下さい。
友達って欲しいと思って作るものじゃないと自分も思いますが、SNSがこうやってあってみんなが利用しているのを見ると、やっぱ誰かに自分の存在を知ってもらいたい。そんな承認欲求があって友達つくる事で満たしたいのかもですね。多分現実ではいるんでしょうけど、心はネットの世界にあるのは確かだと思います。
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