病みアピールとか、ファッヘラなんて言葉があるけど、そういうことをしている人も何かしら苦しんでいることに変わりはない。
だから、今日のそういった人々を排除するような風潮は良くないな、と思う。
私はツイッターとかの開かれたSNSで病んだ発言して目立とうとは考えないけど、それはただ単に「病み方」が違うだけ。その人にはその人の苦しみがあるからね。
苦しんでいる人たち同士で悩みの重大さを比較したり、その上で攻撃し合ったりするのは間違ってる。
中には病んでいくうちに、人に迷惑をかけるような非行に走る人も居る。そういった行為を肯定することは出来ないけれど、その人に声を掛けるときには内に隠れた苦しみに目を向けてほしい。
私がこんな小瓶を流したところで、何も変わらないけどね。
小瓶流れるまではやくてびっくりしました! ありがとうございます。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです
化狐
お返事失礼します。
全くその通りだと思います。
ずっと言葉で表現できていなかった心のくぐもった感情を言語化してくださってありがとうございます。
「病み」という言い方も、すっかりスラングとなってしまって、言葉の重みが変化してしまいましたよね。
ここを知らなくて、だけど悩みを外に出したい人たちが、ただ単に目立ちたい人たちと一括りにされてしまっていると、とてもやるせない心情になります。
だけど、自分も無意識のうちに彼らに侮蔑の眼を向けていたのかもしれません。
小瓶主様が論じた、「病み方が違うだけ」という考え方を、自分も通すようにしたいです。
この小瓶が多くの方の眼に止まることを願います。
長文失礼しました。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです