『人間の目は何故前向きに付いているか』という問いに対して、『前を向くためだ』という一般論がある。
別に否定はしない。客観的事実だ。
しかし、『何故人間は前が向けるのか』という根本的理由に誰も触れている気がしない。
早い話が人間は野生において、喰われる危険が少なく『前以外向く必要が無かった』のだ。
多くの草食動物や魚類は眼球が前に配置されておらず、視界を広げることで外敵から身を守る。
これらは外敵を傷付ける事なく、安全の為に姿を変えながら自らを守ってきた。
これを被害妄想だと切り捨てるのが人間社会だ。
別に前世の君はヴィーガンではないし、人間を食べる訳でもない。食生活ではなく生き方の話をしている。
過去の経験から学んだ教訓をなぞっていただけだ。
一度ではない。二度三度と真面目に繰り返した統計を頼りに最善策を歩いているだけだ。
同じ失敗を繰り返さない為に、踏み外す道は通らない。
それ以上でもそれ以下でもない。
しかし目が前に付いている人間は躓かないように下を向いて歩く同種を否定する。
前を見て躓いた同種を『歩き方が悪い』と否定する。
這って進む同種を歩かせる。
歩みを止めた同種を侮蔑する。
手段に拘り、諦める事を赦さない人間が何故同じ失敗を繰り返す事を咎めるのか。
精神論が綺麗事でないのなら一体何だ。
それが毎回のように私に浴びせる責任転嫁だろう。
人を動かしたいなら責任を取れ。
責任を取らせたいなら手綱を捨てろ。
前世の君がこんな人生で得た『学び』なんてものはな、何をやっても同じだという諦観と取り返しがつかないという虚無感しかないんだよ。
諦めるより願う方が馬鹿らしい。
閉じるより開く方が馬鹿らしい。
越えるより登る方が馬鹿らしい。
捨てるより拾う方が馬鹿らしい。
死ぬより生きる方が馬鹿らしい。
生きた人間は絶望できる。
生きたかった人間は失望する。
何を持って産まれようが、何の可能性があろうが、
手も足も羽もない肉塊に養分以外の需要はない。
そして最後にこう思うんだよ。
死ぬタイミングくらいは自分で決めたい。