あのさー、昭和の不良の人達って言っても、その人達はバリバリなんとかいう音楽は聴かなかったし、綾小路くんみたいな格好は全然してなかったよ。
あくまでもアメリカンで、悪く言えばアメリカかぶれで、アメ車のローライダーやアメリカンのバイク、聴くのも'50〜70年代のアメリカのオールディーズやロック、ロカビリー、R&BクラシックスやSoulクラシックスで、そういうので踊るのが大好きな人達。
中には当時のハコスカやケンメリやRX7やフェアレディーZに乗ってる人達もいたけれど、仕様はアメリカンに近かった。
'50s以外にも'70sソウルトレインや、ヒッピー&サーフカルチャーの人達もいたし、当時着ていた洋服もそんな感じ。全然綾小路くん系じゃなかった。
なんなら本国の人達もいたし。
中には当時アフロサーファーだったという人もいた。当時サーフィンをしながらソウルディスコダンスの大会にも出ていたそうだ。
見た感じラリー・バートルマンさんや、今のプロロングボーダーのカニエラ・スチュワートさんみたいな感じだったんだろうか?
昭和の族上がりのサーファーも結構いた。
サーフィンに夢中になって族の集会に全然行かなくなって、喧嘩になったりするんだけれど、夜型でクスリや飲酒喫煙とかで不健康な生活をしている族の方が、朝型になってサーフィンやって筋肉&体力ついて、健康的な生活になったサーファーになった方に負けちゃったりとかあったそうだ。
もう少し後の方ではモッズの連中ともよく遊んだな。
同級生やバンドのメンバーにモッズがいた。
彼らはイギリスのロンドンのモッズの正式な支部で、モッズコートや細身のスーツとかを着てヴェスパやランブレッタに乗って、彼らのパーティーの時にはいろんなところの支部の連中も集まって、ワインを片手にJAZZやR&Bクラシックスとかで踊ってた。生バンド演奏もあった。私はモッズじゃないんだけれど、よく彼らのパーティーに呼ばれて一緒に踊って遊んで、彼らも私のいたバンドのライブによく踊りに来てくれた。ドライブに連れて行ってもらったりもした。
そんな彼らも今では音楽好きな良いお父ちゃんをしている。今でもやっぱり服装とバイクはモッズ系。
その当時のバンドのドラマーは元族上がりだが、地頭が良くて某国立大の経済学部で卒業式の答辞を卒業生代表で読んで、銀行員を経て今は経理士をしている。
そういえば他にも族上がりの経理士が二人いるな。
子供の頃に私を可愛がってくれた、若くして亡くなった、不良っぽかった私の従兄弟のお兄ちゃんも、アメリカンのバイクとフィアットスパイダーに乗って、グリーステカテカのリーゼントに革ジャン、革パンかデニムに黒いエンジニアブーツ履いて、洋楽聴いて踊って、部屋の壁にはプレイメイツのピンナップ貼って、飲み物はコークハイっていう、どちらかというとアメリカかぶれの人だった。
同級生や幼馴染の中には某○○舘大学とかで武道やってた人達とか、昭和の族上がりで、今でも旧車好きでバイクや旧車に乗ってる古い友達もいるけどさ…。車屋やバイク屋やってる人達もいる。
その人達はいい奴だけれど、たまーに一緒に飲んだりご飯食べたりするけれど、音楽や服装の趣味とか遊ぶ場所とかはやっぱり合わないんだよね…。
その人達が族の集会している時に、私はせっせと年上の人達の車に乗ってディスコ通いをしていた。
お互いの家に行ったり来たりはしていたけれどね。遊ぶ場所や服装や趣味は違った。
どちらかというとアメリカかぶれで、昔、クラシックビートルの会の会長してた、人が良くて優しい夫婦共に幼馴染の友達の方がまだ音楽や服装の趣味が合うな…。
昭和の不良っぽい人達にもいろんなタイプがいたって話。
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アユムさん、お返事ありがとうございます。
コツは、本物のアホで、頭空っぽにして、なーんにも考えないで、好奇心の赴くままに首を突っ込む事です。
…あんまりおすすめできないかもしれませんね…
ななしさん、お返事ありがとうございます。
穢されてしまったなんて、そんな事全然ありませんよ。
実際に、昭和のある時期の東京にそういう荒れた地区があるというのは、いろいろと見聞していましたし。
当時、ななしさんが巻き込まれなかったのが何よりです。
お気遣いいただいてありがとうございます。
救われたような気持ちになったとおっしゃって下さってありがとうございます。
やはり、その当時の地方都市の方が都会に比べるとどこかのんびりとしていたのかもしれませんね。
地区や昭和のどの時代かによってもいろいろ違ったんでしょうね。
本当にその人達は今はどこで何をしているんでしょうね?
その人達もみんな更生して、今は穏やかに暮らせているといいな。と思います。
ななしさん
ななしです。
お返事のお返事ありがとうございます。
本当に自分の中学時代、今では考えられないほどひどかったですし、それが当たり前のようなところでした。
もともと地元はあまりガラがよくない土地だったのもあり、身近に犯罪のにおいがいつもあったせいもあるでしょう。
ですから、小瓶主さんのお話を読むと、別の世界もあったんだなと感じて、なんというか救われたような気持ちがします。
もし私の昔話で、小瓶主さんの思い出を穢してしまったのでしたら、許してくださいね。
アユムさん、お返事ありがとうございます。
全然すごくはないんですが…
若い頃は好奇心が強く遊び好きで、いろんな所で遊んで、いろんな人達と出会って、いろんな人達が通り過ぎて行きました。
今は縁が無くなった人も、亡くなってしまった人も、同窓会などで機会があればごくたまーに会うだけの人達もいます。
今でも継続的に付き合いがあるのは、サーファー達と、幼馴染で同級生の友達グループです。その中には族上がりの人達とかもいますw
引っ越して遠くなってからはコロナもあって、以前に比べたら会う機会も少なくなりましたが。
昨日も、引っ越す前いつも一緒に海に入っていた友達のサーファー夫婦、サーフィンの先輩達と久しぶりに会って、みんなと息子ちゃんも一緒にランチを食べたりして楽しかったです。
昭和のあの頃は景気が良かった事もあって、若者がいろんな趣味や遊びにお金や時間をかける事が出来た時代だったのかもしれませんね。
その分いろんな人達とも出会えたのかもしれません。
ななしさん、お返事ありがとうございます。
そうだったのですね。昭和のある時期の東京のある区のあたりは、校内暴力などひどくて、犯罪を犯す子も多くてとても荒れていたと見聞した記憶があります。
私のところは地方都市でその頃は景気も良く、そういう目立った子はわりと経済的には困っていない自営業の家の子が多かったのもあったかもしれません。逆に経済的に貧しい家の子はそういった人達のグループにはあまりいませんでした。おとなしい子が多かったです。不良っぽいグループに時々や○○の子はいましたが。
学校で暴れたり犯罪を犯すような子は家庭に大きな問題を抱えている子が多くて、不良っぽい感じでもなくて、そういうグループからも、普通の子達や、大人しい子達からも遠巻きにされていた記憶があります。
族の子は、中学生なのに先輩のバイクを無免許で乗ったり、スピード違反などの道交法違反や深夜徘徊で捕まったりはありました。バイクで峠とかを攻める峠族も道交法違反系だったと思います。
バイクや車の事故で若くして亡くなった同級生や先輩もいました。
私はディスコなどに通って夜遊びはしましたし、幼馴染や先輩や友達に族はいましたが、族ではありませんでした。そっちはあんまり興味が無かった。
時々族同士や不良っぽい人同士の喧嘩とかはありましたが、地方な事もあって派手で不良っぽくてもどこかのんびりしていて、どちらかというとバイクや車やイギリスやアメリカ文化など、格好いいものに憧れるような気持ちが大きかったのかもしれませんね。
東京などの大都市に行くのは一大イベントで、都会の不良は怖い。とか言ってました。
モッズやサーファーは関東の都市圏の人達とも繋がりがありました。
18歳くらいになると族も卒業して後輩に譲って、車やバイクは好きだけれど、進学したり就職したりして、高校を中退した子達もちゃんと働いていました。
サーファーは波が良いと仕事をサボって海に行ってしまって、仕事をクビになったりとかもあったそうですが、景気が良かった当時は仕事もすぐに見つかったそうです。その人達は今もサーフィンを続けています。
本当にいろんなタイプの人達がいたんですね。
当時、ななしさんが巻き込まれなくて本当に良かったです。
私ものんびりした地方で、無事でいられて良かったです。
ななしさん
この小瓶を拾って、遠い昔の荒れた学校を思い出しました。
うち(東京都下)のほうはひどかったですよ。
洗練なんて言葉とはかけ離れてたので、今の子が想像するような、いわゆる昭和の不良ばかりでしたね。
恰好は言うまでもないですが、素行は最悪、学校は汚されたり壊されたりして滅茶苦茶、軽犯罪から重大犯罪までなんでもあり。
校内で刃傷沙汰とかもあったし、他校の生徒が乗り込んできたり、バイクで校庭を走り回ったり、今の時代からはとても想像できないことが起きてましたっけ。
小瓶主さんとは、大分様相が違うので驚きました。
昭和も長かったですし、もしかしたら年代が違うのかもしれませんが。
巻き込まれることは幸いなかったですし、高校から別のエリアに行ってしまったので、その後はよく分かりませんが、あまりいい記憶はありません。
彼らは今はどこにいて、何をしているんでしょうかね。。。
私の父親も若い頃はアメリカン・グラフィティーみたいな格好して、和製ハーレーと呼ばれた「陸王」ってバイクに乗って、エルヴィス・プレスリーさんやアメリカ映画が大好きで、夜になるとダンスホールでロカビリーやオールディーズの曲でツイストやジルバを踊ってた人だった。
米軍基地のある街に住んでいた大叔父のところに行くと、私に革のフライトジャケットのレプリカや、革のブーツや革のスカート、アメリカ製のデニムパンツにコンバースなんかを買ってくれる、結構なアメリカかぶれだったな…。
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