他人にとってはゴミでも、自分にとってはそうでない物。その逆もある。
いくら自分が自分のことをゴミだと言おうと、他人からすればそうでないことがある。そう、であることもある。
そんなあたりまえのことで僕らは悩み苦しむ生物だ。
それもあたりまえ。普通のことで、私たちは普通に悩む。それでいいじゃないか。普通のことだから悩まなくてもいいと考えるもよし。それでも引っ掛かるならとことんモヤモヤすればいいじゃないか。
いつか消えることも、死ぬことも、幸せになることも、苦しむことも、笑うこともできなくなる。もし、そうだとしたら……ぼくは――
死ねなくて苦しむフェーズはもう終わった。
最初からそんなものはなかったかもしれないし、まだ終わってはいないかも。
生きたくても生きられない気持ちと、
死にたくても死ねない心が同居している。
これは、人間らしいと言えるだろうか。
こんな考えをしたところで、生きられるようになるわけでも死ねるわけでもないのに、今日も何をしているのだろう?
できるのなら、やりたいのなら、それをしてる。
働くこととか、『生き死に』のことを考えて苦しむのをやめる……だとか。
ごめんなさい。これはもう癖なんだ。
「死にたい」と思うのは9歳頃からの癖だから。「やめなさい」と言われて、簡単にやめられるようなものではないんだ。
ぼくの選択は、それを無くすのではなくて、どこまでも有ろうとする。探求心?深く、深く、堕ちていきたい。「やめなさい」という者が生きる世界とは逆に進みたい。逃げているだけ?それは見方の違いだ。貴方の向かう方向と逆に進んだら、そりゃ貴方からは逃げているように見えるよ。それだけのことでしょう?
わたしは「ああ言えばこう言う」よ。それが気に食わないならサヨナラバイバイ。それだけの話。
孤独は嫌いじゃない。人と関わるのは煩わしいもの。
だけど、寂しさがないわけじゃない。だからここにいるの。
助かるのなら、助かりたいからね。
自殺もしたいけど、自殺しない未来もほしいから。
安全な地で、密かに主張を続けよう。
大好きで大嫌いな自分をここに残そう。
いつかもし、生まれ変わっても同じ心を持てるように。そのうち時代が追いつく。たとえば今はまだ一人称でざわつくものが多いが、きっとそのうち……
そしてその時、また新たな問題が出ているのだろう。
きっと昔からそうに違いない。「一人称どうする?」ってさ。「海の向こうはアイらしいよ?」「あそこの地域はワシらしい」「やっぱ私、僕、俺辺りがメジャーですかね」そのうち定着して、安定して、また崩れて……
いいくにつくろう は
いいはこつくろう に
辞書から零れ落ちる言葉あれば
拾い上げられる言葉もあるのだ
……生活も、心も。
似たようなもんだなぁ
この小瓶は、ここで終わっとくか。
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どういたしまして。
癖か……
普通、癖は若いうちに治すものだけど
あえて残した感じか。
それは個性か
それとも個性じゃないのか……
まあ、それがあなたの人生なのなら
それでいいんじゃないかい?
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