人と真面目に向き合えば恋愛という感情を知ることができるかと思った。
実際はずっと続くかわからない怖さと友情のように自然消滅がないという現実。重たい首輪をつけられたような気分だった。相手はとてもいい人なのにそのように表現してしまう自分が憎い。ならなぜ私は触れてみようと思ったの。あまりにも酷い。
そんな自意識が肥大して張り裂けてしまいそう。
ごめんなさい。
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ななしさん
理論が好きな人って、感情の揺らぎを面倒くさく感じませんか?
それをあまり憎いとか酷いと言わなくたって、と思いました。
私は人の心がネガティブ感情になっているとき、こっちが何を言っても地雷にしかならない場合もあるから怖い。
そもそも測量できないとはわかっていて、そこがいいのだろうけれど、だから面倒くさい。
見えない部分にネガティブが詰まっていると仮定するのはいいけれど、証明できないのなら、見えない部分はお花畑だと思ってしまう方がいいのかも?と、最近は思っています。
でも、相手がネガティブを抱えていそうなら気づいてあげたいとは思う。
私が振られないようにはコントロールできないけれど、私が振らないようにはコントロールできる。なので、注力するのは振らないこと。
ひとりでもふたりでも家族とでも、寝て食べて散歩してテータイムでもしてお幸せに。
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