「嫌い」という感情。
誰かを嫌いになることは、許されないことではないと思う。もし、何も嫌いになってはいけないなら、今頃トマト嫌いもピーマン嫌いも粛清されて、地球上の人類が全滅する。
本当に許されないのは、攻撃すること。
攻撃すること全部が悪いとは言いたくない。ただ、「嫌い」だからと言って攻撃するのはみっともないし、許されない。
嫌いな人がいるのはたぶんみんな同じ。野菜とかの好き嫌いと一緒。問題は、その「嫌い」という感情に振り回され、言葉や形にしてしまうこと。
例えば、嫌いな人がいるとして、どんなにその人のことが嫌いでも、どんなに皆がその人を嫌っていても、その人のことを殺してはいけない。
それと同じように、嫌いな人の心も傷つけてはいけない。たとえ嫌いな人でも、自分のストレスの矛先を向けてはいけない。
だから、みんな我慢してる。
でも、たまに傷つけたくなる。殺してしまいたくなる。罵詈雑言を浴びせたくなる。
そうなったら、私は「逃げる」ことにしてる。
宛メに逃げる。嫌いな人から逃げる。好きな人と話そうとする。好きなことに逃げる。
もしかしたら、その人からすれば「逃げられてる」と感じるだけかもしれない。それがその人を傷つけてしまうかもしれない。
でも、許してほしい。私にはまだ、逃げることしかできない。
我慢できなくなって、つい攻撃してしまうこともあるかもしれない。
自分を守るため攻撃してしまうのは本当に最終手段。そうすれば、その人との関りはなくなるかもしれない。でも、許されることではない。
我慢できないのが悪いわけじゃない。逃げ方を知らなかっただけかもしれない。攻撃するのをためらったことがあるならば、まだいい。
でも、嫌いな人をストレスの発散対象にするのは違う。それはただの無差別攻撃。
私もそうなるかもしれないと、最近思う。でもまだ、逃げられてるから。