なんでかな、子供であるだけで輝かしい未来とか確固たる信念とか、何か一つでも希望を持つことを強いられる。
ちょこは無理なんだ
まともに生きるとか、頑張るとかそういうの。
注意欠陥多動性障害(ADHD)、最近話題というか、認知度も上がってるよね。全体的にこいつのせいで生きづらい。
同じ障害の人に迷惑が掛からないよう、誤解やありもしない迷信ができないよう詳しく説明すると
「こいつ」なんて言ってるけどADHDは病気とかじゃない。あくまで自分の特性、個性、特徴なのであって自分という主体と別に存在するものじゃない。
あくまで自分の分類、わかりやすく言うとハッシュタグみたいに自分の個性の一部をわかりやすく一言でまとめてるのが発達障害。言葉通り生活する上で障害になるから「障害」と付くけど時代が違えば、例えば大昔の狩猟採集社会の時代、ADHDの注意散漫な特性は目についた食料を片っ端から集めたり、集中しすぎて天敵の襲来に気付くのが遅れることを防いだりすることに大いに役立ったはずだし、常に生命の危険があって、思考に時間を避けない時代にあっては衝動性の要素は人類に必要だったはずだし。
そういう難しいこといっぱい考えるとADHDへの理解が深まるんだけど、将来精神科医になるわけでもないのにこんなこと勉強する人って当然ながら少なくて。
だから誰のせいでもないんだけど、特性が旧石器時代向き過ぎて生きづらい。現代社会に適応できない。
現代社会で希望を持つには、というか成功するにはADHDの特性は不向きすぎる。
だから成功しろ!みたいな圧力が怖いし辛い。痛い。
なんで子供に夢見ちゃうんだろうな、大人って。
子供も大人と変わらない1人の人間で、クズもいるしゴミもいるんだって、なんでわかってくれないのかな、ちょこはもうダメだよ。
この小瓶、拡散希望。
「思考に時間を避けない時代にあっては衝動性の要素は人類に必要だったはず」
この部分、すごく専門家にも一般の人にも考えてもらいたい。
みなさん、時代や環境に合わず困りごとだと社会が判断したから、少数派にラベリングしていませんか?
逆にいい意味で優れていると天才と呼んだり巨匠と呼んだりするもんね。そしてそうラベリングすることで、ビジネスになる。
親として、子どもがADHDであればば、それを払拭する程度の成果を望んでしまう。
なぜなら、ADHDの人が失敗した時にADHDだからなって思ったり。いや、ADHDじゃなくても失敗はあるでしょ、って思うのに、おそらく一般的にはついラベリングに引きずられてしまうから。
情状酌量の余地がない、加害者が悪いと思っていないあからさまな犯罪は、更生させようとしていいだろうけど、ADHDとか、例えば吃音とか、同性婚とかは、日常で普通で良くない?
ちょこらつぽさんがADHDを気にせず生活できる社会になりますように。