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今日は亡き父が大好きだった、エルヴィス・プレスリーさんの伝記映画を観た。彼は白人でありながら黒人のダンスとR&Bを歌う事でスターになった。

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今日は亡き父が大好きだった、エルヴィス・プレスリーさんの伝記映画を観た。

南部の黒人街で育ち、黒人教会に通っていた彼は、白人でありながら黒人のダンスとR&Bを歌う事でスターになった。

彼の歌ったハウンド・ドッグという曲は、元々は黒人女性歌手のビッグ・ママ・ソーントンさんが歌っていた曲だった。腰をくねらせ、脚を震わせ、黒人歌手のように歌い踊った。TV番組で嫌がらせをされて、犬のハウンドドッグ相手に歌わされた事件もあった。

そのために人種隔離政策のあったその時代では問題視され、TVに出演させるなという声や、逮捕された事もあったそうだ。そして、刑務所に行くか、軍隊に入るかを迫られ、軍隊に入隊した。

エルヴィス・プレスリーさんがロックではなく、ゴスペル部門でグラミー賞を受賞した事は意外と知られていない。

父はエルヴィス・プレスリーさんとオールディーズと洋画が大好きで、仕事用のトラックにもエルヴィス・プレスリーさんや、ポールアンカさんなどのオールディーズや、映画音楽の8トラックのカセットテープを積んでよく聴いていた。

父は、Love Me Tenderというプレスリーさんの曲が特に好きで、カセットテープに合わせてよく歌っていた。その映画も何回も観たそうだ。

TVの洋画劇場も大好きで、毎回欠かさずに観ていて、私もよく一緒に映画を観に連れて行ってもらった。

初めて買ってもらった三輪車じゃない自転車も、なんと、ワーナー・ブラザーズのキャラクターのついた、太いタイヤと、ハンドルには革のフリンジ、2段シートにバックにはパイプという、アメリカ製のビーチ・ボーイ・サイクルだった。

布団やビニールプールなどもディズニーのバンビや101匹わんちゃんなどの映画キャラクターものだった。
それらも父が選んだものだった。

父が米軍基地のある街に住んでいた大叔父の所に行くと、Leeなどのデニムパンツやオーバーオール、革製フライトジャケットの子供用レプリカや、カーキのスウェードのミニスカートや、コンバースのスニーカー、革のブーツなどを買って来てくれた。

それらを着て小学校に行くと、男の子や男の先生からは格好いいな。と言われ羨ましがられたが、年配の女の先生からは、
「そんな与太者(死語!)みたいな格好して!」
と不評だった。

同じような格好をしていたのは、小学生の頃からの友達と、父親同士が仲良かったひとつ年下の幼なじみだけだった。今でもとてもおしゃれなその子のお父さんも、娘がそういう格好をするのが好きだったようだ。

その子とお揃いの、カーキと黒で色違いのオーバオールと赤い靴下にコンバースを持っていた。
その子のお父さんが、カーキや黒やネイビーの服に赤い靴下は粋だと教えてくれた。
幼なじみの年下の女の子とも、お揃いの白いハーレムパンツと、ネイビーと白のボーダー Tシャツと、銀色のメッシュの靴を持っていた。

母はそういう格好があんまり好きじゃなくて、ヒラヒラの白いワンピースとかの方が好きみたいで、父に文句を言っていた。そのくせ、そういうワンピースを遊んで汚すと容赦なく私を殴った。

父は母ともダンスホールで知り合ったそうだ。その当時の父の事を知る人達から聴いた話では、父はツイストとジルバを踊るのが上手くて、結構モテたんだそうだ。

父と同級生だった母方の叔父も父の事を、勉強はあんまり好きじゃなかったけれど、スポーツ万能で絵が上手くて、手先が器用で優しかったから人気があったよ。と言っていた。

街の遊び人グループにいた父を、郊外から来た母は一緒に街のダンスホールに行った女友達と少し怖がって見ていたそうだ。

その頃の父や母の写真を見ると、まだ細身だった身体にリーゼントとダークスーツに細いネクタイでキメた父と、アメリカングラフィティーみたいなサーキュラースカートのワンピースに肩掛けしたカーディガンや、60'sのスーツを着た母が写っていた。
なるほど、いかにも当時のダンスホールにいそうだ。

父と母は私が子供の頃は時々二人でダンスパーティーに出掛けていた。

私は幼い頃、父の膝の上でご飯を食べて、配達に行く時には付いて行って、家でお風呂に入る時も父と、寝るのも父と一緒というくらいのお父さん子だったので、母からはそれもあって嫌われた。

買い物に連れて行ってくれるのも、遊びに連れて行ってくれるのも、子供嫌いの母に代わって、いつも父だった。

父が私に甘すぎると言って、幸せだった小さな頃に住んでいた家から引っ越してからは特に、父がいない時を見計らっては暴言、暴力の嵐だった。

父は母とは全く違って、お気楽で、浮気はしないけれど遊び人で、優しくて子供好きだった。

当時自家用車を持っている家が少なかった時代に、自動車に乗りたがる近所の子供達を順番にドライブに連れて行ったり、魚釣りや遊びに連れて行くような人だった。
なぜ母のような人と結婚したのか、今でも謎だ。

晩年、病気でほぼ寝たきりになってしまった父を病院に送り迎えする時に、カーステでロカビリーやオールディーズをかけると「おっ!ロカビリーだ!」と嬉しそうにしていた。

エルヴィス・プレスリーさんの曲を聴くと、いつも父を思い出す。父とよく行ったあそこの海に行っても父を思い出す。古い洋画を観ても父を思い出す。

若き頃の父がエルヴィス・プレスリーさんの曲に合わせて踊るツイスト、見てみたかったな。


♪Love Me Tender♪ Elvis Presley
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とりす
(小瓶主)
ひのあたるみちさん、お返事ありがとうございます。

そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。

今思い出しても、私はお父さん子だったんだな。可愛がられて来たんだな。と思います。

そういう思い出が、つらい時や寂しい時でも
私を生かしてくれているのかもしれません。

ひのあたるみちさんに、これからもたくさんの温かい思い出、しあわせがありますように。

とりす
(小瓶主)
遥さん、お返事ありがとうございます。

士業をされていたという真面目そうな遥さんのお父様が、大きなCDステレオでクラシック音楽を楽しみながら、ゆっくりとギネスを嗜まれて寛がれる様子が目に浮かぶようです。
なんだかこちらまでほっこりしました。

遥さんのご考察の通り、私も小さな頃から家業の製品の袋入れや箱詰めなどを手伝い、学生時代は電話番やコピー取り、伝票記入をしたりしていました。
自営業の家の子供、あるあるですよね。
そんな所も遥さんと私の共通点ですね。

祖母が入院しがちになってからは、仕事三昧で家事をしない母に代わって兄弟の世話や、家事もやる事が多かったです。

父はそんな私を気遣ってか、休日には朝に惣菜パンをいっぱい買って来て、夕食には外食や出前を取ってくれたりしました。

時々、父や父の友人が蕎麦を打ったり、釣ってきた魚などでご馳走を作ってくれたり。
母は当たり前のような顔をして、美味しそうにそれらを食べていました。笑

遥さんもお父様と母親の違いはあれど、被虐待の経験もおありだったのですね。
私の母も遥さんのお父様も、もしかしたらどちらかというと真面目で堅いタイプで、それゆえに他人に頼るのが上手くなく、ストレスを溜めやすかったのかもしれませんね。

お父様がお亡くなりになった際には複雑なお気持ちもあったのではないかと思います。

親子って不思議なもので、親子関係とはまた別に、良い所も悪い所もどこか似たりしますよね。それで、やはり親子なんだなあ。としみじみ思ったり。

つらい時や寂しい時、昔の小さな温かい思い出は生きて行くための力になったりしますよね。
その時にはこんな風に懐かしく感じる事になるなんてわからないような、小さな思い出が案外人を生かしてくれるのかもしれません。
ほんの小さな、人の温かさを感じるような出来事が。

人間によって深く傷つく事もあるけれど、人との温かい思い出や、助けたり助けられたり、迷惑かけたり、かけられたりがまた人を癒してくれるのかもしれませんね。

そんな風におっしゃって下さってありがとうございます。

まだまだ寒い日が続きますが、遥さんもお身体に気をつけて、無理なさらずに、頼る所は頼って出来る事をされて行っていただけたらいいな。と思います。

遥さんのこれからの人生にたくさんの小さな幸せがある事を願っています。
素敵なご家族との思い出を聞かせてもらってありがとうございます。
お父様との思い出、情景がありありと浮かんできそうで、楽しそうに語らうとりすさんの文章にほっこりと来ました。
とりす様
 お父様に対する温かな御記憶を拝見し、私も、父の生前の姿を思い出しました。
 私の父も西洋好きのところがありました。昭和の終わり頃、ある日突然、当時は高価であったであろう巨大なCDステレオ一式を買ってきました。そして、交響曲や管弦楽のCDをたまに街で買ってきて、1日の仕事が終わった後、夕食後にそれらを静かに聴いているようでした。酒は全くの下戸で、たまに日本の缶ビールを飲もうとすると半分で真っ赤になり残していた一方、イギリスのギネスだけは、1缶をゆっくり愉しんでいる様子でした。
 お父様は既にお亡くなりだったのですね。とりす様もお婆さまもお寂しかったと拝察しました。一方、お父様がとりす様にとり今も温かな存在であるとも拝察し、まこと、人間は本来は温かくて思いやりと慈しみを備えた生きものであることを思い出しました。
 とりす様の小瓶を拝見する度、私は拓かれる思いがし、感謝しております。陽が長くなり春の気配がある一方、三寒四温、まだ暫くは寒の戻りがありますから、どうぞ御自愛くださるようお祈りしております。
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