加害者になるのが怖い。
だから、
加害者にさせることも怖い。
だから、
できるだけ被害者にならないようする。
傷付かなくてもいいような場面で傷付かないようにする。
これを言うと、「傷付いたら駄目だ」って思う人が出てくるかもしれないが、それは違う。
だって君と私は違う人間だろう?
なぜ私の考えに触発される必要がある?
ところで、「君」とは誰なのだろうな?私はよく二人称を自分の小瓶に表記するが、今これを読んでいる「貴方」のことを言っているわけではない。そう、この「貴方」すら。
だけれど、読み手はこれを「自分」のことだとする。そういうのが不思議で、面白いんだ。
いや、もちろん全部が全部「読み手」のことを指していないとは言わないけれど。
他人と関わるとめんどくさいからな。
加害者にも被害者にもなりたくない。だったらどうすればいい?
そう、誰とも関わらなければいい。
誰のことも意識しなければいい。
自分のことすら。
ここは「無」
「私」も、「君」も、「貴方」も、「自分」も、なんにもいない。
「書き手」や「読み手」も存在しないなら、「加害者」や「被害者」も生まれない。
ここにはなにもない。
こんなに文字が溢れていて、それでいてなにもない。
さて、たまにはそうして「無」になってみるといい。
ここには、なにもない。
「 」
「 」
「 」
「はい!」
ひとつ手を叩き、息を吐いて~
さあ、今日も人生という道を行ってらっしゃい!