たとえばゴッホの絵はオーナーが誰だろうとゴッホの絵だし、ヴィトンのバッグも誰の物だろうとヴィトンのバッグ。
普通デザイナー製品を指して「あれは〇〇の□□だよね」って話をするとき、〇〇には持ち主ではなくデザイナーの名前が入る。
気づいたけど、その慣例に倣ったら自分ってそもそも自分じゃないよね。だって何も自分で選んでない。
こんな顔に生まれたくなかったし、こんな声も嫌だし、なにの才能もないし、自分の性格だって好きじゃない。
何1つ自分の好みと相いれないこの体は、親の選択によって生まれた親の体だよ。
もし自分がこの体を殺しても、それはたぶん自殺ではない。
人は欲求を満たせないと辛くなるようにできている。理想と違う体に耐えられるようにはできていない。
ということは、もし外れを引いたら最初から病むこと確定みたいなもの。そんなリスキーな賭けを子供に押し付けないでほしかった。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
その慣例に従えば、貴方...というより人間をデザインしたのは神だ。
人間の親に自分の子をデザインする能力は端からない。
神なんていない、なんて言ってくれるなよ、事物のコンセプトの設計主たる存在が人間にも居ると、この小瓶では仮定してあるのだから。
貴方は神が妄執の中大量に描き綴ったひまわりの絵の一点だ。
神はそんな絵たち...人間が自己の姿を憎むのをどんな思いで見ているのだろう。絶望か、愉悦か、憐憫か、憤怒か。
そもそも自己を憎めるように作ったのだから、相当悪趣味な存在かもしれない。
そして、その神の意図通りか、ある人間が一般に言われる自殺を望む。神の制作物であるその人間の身体を殺す。自殺じゃあない。
うーん、しかし、こう考えてみると、矛盾がある気がする。
自分は自分で無いのなら...何故デザイナーたる神はそんな不出来な自分...人間をとっとと壊さないのだろう。
これまでの仮定に従えば、ある人間の身体は神のモノだ。神はその人間の全てを決定している筈だ。デザイナーだから。
例えばヴィトンも、ゴッホも、本当は自分の作品であるのに、「ソレは私の作品では無い!偽物だ!」と宣言したならば(物理的な破壊でも良い)、その作品はブランドものとしては死ぬであろう。自殺だ。折角作り上げた自身を、壊した。
デザイナーとしてはあり得る事態である。
デザイナーである同一性を守る為に規格に合わないモノ=自分を壊すのは自然な事だ。
さて、じゃあ何故神はとっとと不出来な自分=人間を壊さない?
恐らく、不出来と思ってないのであろう。
その意図が、邪悪か慈悲かに関わらず。
そして、神=自分=人間が特に自己破壊を望まないのに、その人間という作品に宿った意思は勝手に自壊を望み、達成する。
他人のモノを勝手に壊す、殺すのは...
他殺だね。
現代では自殺よりよっぽど批判されそうだ。他人に害を与えてはいけないと、誰でも口酸っぱく教えられている。
つまり貴方は他殺がしたい、という事になってしまう。怖いね。
しかも、神=自分はそんな事望んで無いのに、貴方という外野から勝手に好みじゃ無い、理想じゃ無い、ハズレだ、出鱈目な賭けだ、と言われてしまっている。
大変な誹謗中傷だ。
神は優秀な弁護士に掛け合った方がいい。
さて、貴方の仮定から論理的に想像を広げるとこんな感じになる。
恐らく貴方は気に食わないだろう。
「貴方は貴方の気に入る貴方で無いと困る」のがこの小瓶から分かる貴方の意思だ。
神が貴方=自分を気に入ってるかどうかなんて知ったこっちゃないだろう。
でも、貴方が理想たるデザイン(by貴方)に沿わない貴方を壊したいと望むのは、到底無理な話だよ。だって貴方は貴方のモノじゃないんでしょ?他殺だよ。
結論。自殺も他殺もしたくないなら、貴方の権利を奪い取れ。
過去の芸術の大家のように、親か神か知らん奴が気に入らんカタチに作った自分を、再構成しろ。自分を自分の思う通りに塗り替えろ。そうしない限り、貴方は他人の作品にケチをつけ続けるだけのつまらない批評家や、トマトスープを投げる活動家と変わりがない。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください