考えると、死にたくなる。
苦しみは、きっと死ぬまで継続的に私に供給される。
どれだけ解消したって、供給に追い付かない。
死にたい。でも、死が怖い。
自殺の経験はある。高校2年生のころ、首を吊った。形は上手くいったのに、失敗した。意識を取り戻したとき、絶望と、死への極端な恐怖があった。もう、怖い。
病院にもいった。心の病は悪化してしまった。病院に行けば、救われるのだと思っていたが、そんなことはなかった。私は、この世に私にとって救いになるものなどないのだと知った。今は、それも受け入れたし、幸せや救いなんて望んでいない。いや、寄こさないでほしい。「生きるとは苦しむこと」という答えを出した。もう変更は加えたくない。
そんな生きることだから、苦しい。死にたい。
死にたい。もうスマホの通知も嫌だ。
死にたい。理不尽で、自分にはどうしようもない死が欲しい。怖いとか関係ない死が欲しい。通り魔に刺されるとか。
もう無理だ。時間が進むのが恐ろしい。明日が怖い。
死にたい。死にたい。死にたい。
「死にたい」を隠して生活するのも疲れる。家から出たくない。人と話したくない。
「僕もう自殺しようかとおもったもぉん笑」。誰かが自分の苦しみについて私に話す。
「いや、マジでよくやったな。耐えたって事実はもう一生ものの誇りだね」。そんな風に返しながら、(俺の苦しみにはどうせ敵わない。人に話せるような苦しみが、俺の苦しみに敵うわけがない)なんて思ってしまう。それも嫌だ。苦しみなんて、人それぞれで、大きい小さいとか関係ないのに、比べてしまっている。私は私が嫌いだ。醜い。
死にたい。辛い。許してほしい。
食べ物の必要のない体になりたい。そしたら働かなくていいから、何も頑張らなくていい。
ありえないよ、そんなの。ありえないなら、死にたい。
死にたい。死にたいよ。