最近、LGBTを軽視したという理由で悪く言われる人が多い。
でも、当人の私からしたら、「え?それの何がいけないの?」と思う。
LGBTの人が傷ついて発言したのかもしれない。
LGBTを重視する人が発信したのかもしれない。
誰が言い始めたのかわからないけれど。
少なくとも私は、昔からある『言葉』に対して、それを使ったというだけで批判の気持ちはもたない。
傷つく人も少なからずいるんだろう。
でもそれは、私達を認めてもらうため、というよりは、過剰にLGBTを守りたい、みんなで守ってほしい、という気持ちのあらわれな気がする。
うまく言えないけど、否定的な意見も、肯定的な意見も、あまり公表しすぎると、「LGBTが生きやすくなるように」という本来の目的から離れていく気がする。
否定的な意見も、肯定的な意見も、LGBTというのも、全部が多様性だと私は思う。
みんなが生きやすくなる世の中を願う。
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ななしさん
LGBTに限らず、私が思う“怒り”について。
・自分自身がLGBTで、それをからかわれたりしたときの傷を思い出して怒る。
・知り合いでLGBTがらみで傷ついている人がいて、共感して怒る。
・LGBTとは関係のないストレスを発散させるために、怒っても良さそうなことに対して、過剰に怒る。
・自分がお気に入りのインフルエンサーやタレント、もしくは身近な家族が怒っていたから、その人の意見のとおり怒る。
一つ目と二つ目に関する怒りについては、熱量が高めな怒り方になってしまっても仕方ない。
けど、三つ目、四つ目の場合で熱量高めに怒らないように気をつけないといけないと思う。
なんとなく、一つ目と二つ目に関する怒りより、大勢の三つ目と四つ目の怒りの方が世の中に溢れていているように思う。
そしてその三つ目と四つ目の怒りが、問題の改善の妨げや本来の目的からずれてしまう原因になっている気がする。
お手紙に同感。
「LGBTが生きやすくなるように」
否定的な意見も、肯定的な意見も、LGBTというのも、全部が多様性。
そう思う。
プラス個人的には、否定的な意見を言う時も、LGBTの方への配慮。傷つかなそうな言い方でするように気をつけようと思う。
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