社会不適合
社会には倫理が存在する
これは法律より曖昧なルールであるけれども守れなければ罰を受ける
社会の既存のルールだから批判しても仕方のない問題で従うの一択、もしそのルールに背いてもいいというならば狂人に他ならない
しかし、批判が可能なコミュニティーの問題がある
それは各々が勝手に次元の少ない物差しを持ち出しあいつはダメだとかあいつは優秀だとか評価すること。こういう奴らはまず自分の物差しの測り方を疑いはしない。そもそも人が形成されるのは星が誕生するのと似ていて観測するものにはどうしようもないことなはず。あれはよく光って見えるのは見方の問題で違う見方もある。捉える波長を変えれば価値も変わる。
最後に自分がいる研究室の問題点を挙げでおく。
ここでの物差しはいたって単純。
研究をしているように感じるか、愛想が良いか大体この2次元の物差しで測るのだろう。
勝手に評価するのは自由だが、その評価が一つの集団で統一され共有され、影で罵り最後には自分の評価の安心材料としてしまうのだ。
この結果を生み出す法則はいたって単純で個人個人の欲求を分解していけば、それが承認欲求に辿り着くのだ。
承認欲求を満たすのは難しいだろう。何か目に見える数値(こんなものを当てにする自体そこがしれてるが)ぐらいで安心するのが精一杯だ。最近だと就活でうまくいき周りに自慢し、独自の物差しを持ってくるバカもいるが。
周りを見れば先生方の気ままな評価に鵜呑みになるのが多い。
結論を言えば人それぞれ異なって環境で偶発的に誕生した人間なのだから他の全く異なる星をみて評価したり羨んだりするよりせいぜい必死に核融合とかして勝手に光ってた方が随分ましだということだ。
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ななしさん
文章が難しい…( ; ; )
つまり、研究室の人達は、結局研究内容とかじゃなくて、愛想の良い人の方が評価されがちで、それってどうなん?って話だよね。あと教授は適当と(笑)
合ってるのかしら…。
まあ生徒同士で誰が優秀だとか言うの不毛だよね。
人の評価はおのれの独自な基準でいいと思うよ。
他の人に合わせなくてもいいし、
その評価で一喜一憂することもない。
研究とかって、マイペースなのが一番だと思える。
実験してても結果が出ない時もあるだろうし。
結果が無いのが答えみたいな。
教授もさすがに、愛想だけでは成績付けないでしょ。結局、成績として数値化されるのが、一番確かなんじゃない?
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