母親が嫌いです
この感情が反抗期特有のものなのかどうかはわかりませんが、少なくとも今は生理的に無理なんじゃないかなって思ってます
友達になれないタイプ、出来るだけ関わりを持ちたくないタイプの人間だと思います
具体的には、
何を聞いても分からないとしか答えないところが嫌
足音や咀嚼音がうるさくて嫌
って感じです
逆に父親にはそういう負の感情はないです
むしろ自分と父親は仲がいいと思います
父親はあまり自分に口出しするタイプではなく、放任と言うよりは面倒なだけじゃないかとは思いますが、それなりに自分に甘いです
父親はことば足らずながらそれで理解してもらおうという節があり、それを理解できない母親に対して少なからず苛立っているように見えますが、自分は父親の考えていることが簡単に分かります
自分も父親のような考えだからか、コミュニケーションは楽でいいです
何かを見て連想することも似通っているので、ふたりの意見が合うとわかると一緒に笑います
父親とは友達であってもかなり仲の良いところまでいくんじゃないかと思います
ところで、我が家は3人家族ですが、3人組というのはろくなことがないと思いませんか
3人で仲良く、というのは大変難しく、ひとり溢れてしまうのがオチです
自分は母親に嫌悪感を抱きながらもずっと心に引っかかっているのです
だって、家族なのに自分だけ同じところで笑えなかったり仲間はずれのようになったりするなんてあんまりじゃないですか
母親には親友などいませんから、そんなことを相談出来るのは父親だけです
この場合父親も当事者なので無理ですが
だから可哀想だなとか思いますし、少なからず同情だってします
こころが理性と感情に分かれているとするなら、
理性では母親と仲良くしなければと思っていて
感情では母親と仲良くなりたくないと思っていることになります
このバグはとてもしんどいです
先述した理性をべき思考というのでしょうか
母親は嫌いですが、自分はどんな人間であれ、可哀想な目に遭ってるのを目の当たりにして喜べる性格ではないのです、無視できる性格でもないのです
この書き方だと母親に対して随分上から目線みたいになってしまいました、日本語というものはなかなかどうして難しい、自分にそんなつもりはないのですが
母親にその行動嫌だと何回か言いましたが、繰り返してもそれが変わることはなかったので諦めました
自分は、周りの人間に対して反りが合わないと知るとすぐ避けるという戦法をとってきました
だから嫌いな人間と関わる術を知らないのです
ああ、でも、こういうことは過去にもありました
自分が嫌いな人間が周りの多くのひとからも嫌われていて可哀想に思ったことが
そのときも自分は何もしませんでした、自分は無視し続けましたが彼女はなぜか自分に懐いていました
結局、半端な優しさを2回ほど見せただけで卒業を機に会っていませんが
二度あることは三度ある、と言います
いえ、三度目がないにしても、母親の件は現在進行形で困っているのです
嫌いな母親から完全に目を背けることも出来ず、母親のことを好きにもなれない
自分が家を出られたら丸く収まる気もしますが、留年や浪人をしなくても、母親の意向で6年は家を出られません
ちなみに可哀想などというのは自分の身に置き換えたときの自分の感情に過ぎず、
母親が案外気にしていないという可能性もなくはないです
でも母親が超合金のように頑丈ではないことや、そんな適当に片付けられない自分の性格ゆえ、無駄につらつらと悩んでしまいます
お母さんへの「嫌」に、「感受性が似通っていないのが嫌」も入りそうですね。
足音や咀嚼音…気にせず立てる人は、人のそれも気にならないんでしょうかね。
今身近にそういう人(赤の他人です)がいて、うんざりしているので少しわかります。
何を聞いても「わからない」としか言ってくれない人が、あなたを6年も縛るのは不思議な気がします。
そこだけ随分、強固な意思があるんですね。
好きになれない人とは、物理的に、それがダメなら心理的にだけでも、距離を取るに限ると思います。
別に相手を思いやってあげる必要もありません。
心は、少なくともそれがイヤでたまらないと感じている時は、嘘をついていることは少ないです。
逆パターン、とてもとても好きだと思っていたのに、心の奥では憎んでいた、というのは結構ありがちですが。
仲良くできなくても、自分の方から意地悪を仕掛けなければ上出来なくらいなのではないでしょうか。