人と話している時、僕は発話タイミングが未だに理解できない。
人が話していれば聞くだけ、またはこちらが話すだけになってしまう。
僕には会話というものの一般的な楽しみ方がわからない。
であるから、僕は現実でもネットでも基本的には人に話しかけずに過ごしている。
架空の会話相手を設定してなんとなしに一方的にぼやいている方が人と話すよりも遥かに楽なのだ(もちろんこの文も例外ではない)。
そんなことから、自動的に「お前らが俺についてこい!」といったスタンスに陥りやすい。
もう少し詳しく説明するなら、自分が何か喋っていること・していることに興味を持ってもらい、乗っかって頂く感じだ。
とはいえ、実際のところ、僕には人様を引っ張っていけるような統率力と計画性はない。
当たり前かもしれないが、発話タイミングがわからないだけに、自身がやっていることの説明も困難を極める。
最終的には、人と関わるのは難しいという遠回りでありながら傍目には短絡的に見える結論に達する。
確実に意味があってやっていることであっても、熱中していることであっても、「何してるの?」と聞かれれば「わからない」と首を横に振らざるを得ない。
自分の行いが恥ずかしくて説明が出来ないのではない。
ただ、目の前のことを筋道立てて手短に話す能力が明らかに欠如しているのだ。
このような長ったらしい話を「何してるの?」と気軽に聞いただけの人は求めていないだろう。
となると、どこか説明を省かなくてはならない。
しかしそれが難しいのである。
もし、この話に「テーマは何か?」と投げかけた人がいたとする。
しかし、僕が答えられることは「わからない。しかしこの文の全てが伝えたいことの全てだ」ということのみである。
どこかで一周し、収束する球を求められても、僕は一方向に伸び続けるタワーを作ることしかできないのだ。
自分としても、球を作ろうとは思わないし、他人にタワーを作らせようとは思わない。
だからこそ僕は、他人になるべく話しかけずに生きているつもりなのだ。
もちろん、自分の作るものに興味を持ってくれる人がいるのなら拒否する理由はないが、こちらへの違和感に疑念を抱けば自然と人は離れていくだろうと推測する。