何も覚えてないって幸せなこと。 入院生活に戻ってやろう
なってくらいには。
僕と社会は遠い。 近付けるとは思わない。
救済はあそこにある。 救済。 救済。
だから救済に近付かなくてはならない。 社会に近付くよりも
ずっと簡単な救済。
人に電話をかけることよりもずっと手軽で簡単な救済。
たすけて。 たすけないで。 大丈夫。 救済は簡単だからたす けてもらわなくても行けるからね。 僕も私も“みぃの”という器に入っているのだから・・・。
でも僕にはできない。 お前でもきっとできない。
僕じゃないお前でもそれはしてはいけない。
きっと“お前”の方がそれを悪いことだと思っている。
お前は救済には遠い人間だから仕方がない。
救済から引き剥がして地獄へと戻すのが正しいことだと言うのならお前と付き合う義理はないのだ。
僕は救済にほど近い場所で悩み苦しみ、 そして安寧を甘受していたいのだ。
僕には”それ”がとても魅力的なものに思えた。
というより、 昔の楽しい思い出を補正してより良いものとして幻を見ている に違いない。
思い出補正のもたらす幻覚と気が付きながらも僕は“それ”から目が離せなかった。
きっとこうしてしまえば、しばらくは社会から隔絶された存在 になれる。 不幸も幸福も、何も感じずにいられる。
感じても 全て忘れてしまえる。
"今"を生きて寝て、 同じ日常が繰り返されるだろう。
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就活の電話怖いな~~と思って必要な書類探してたら昔odで入院してた時の記録が出てきて(他人の苦労をよそに)あの頃だけは意識障害の関係上気持ちが楽でいられたなぁという話。
社会に出るよりもそういうことして逃げる方が手段としては楽なんだけど道徳的かつ倫理的によくないよなぁ…でもなぁ…すがりたい気持ちは突然払拭されるとかないもんなぁ……。
みたいな話。
一言で言うと「電話は死と比べられるほど自分にとってはしんどい!」ってこと。