同じく推しが生きがいの者です。
推しが居なくなったら、推しが推しで無くなったら、そもそも推せなくなったらと、推しの突然の喪失の可能性に悩むと、自分だけで生きていける何者かにならなければ、という焦燥によく襲われます。そもそも、現代で人に認められるなんて滅多にありつけないご馳走ですよね... 私も欲しくてたまりません...
ところで... 過去の小瓶も勝手に拝見させて頂きましたが、小瓶主さんは才能を、人にチヤホヤされる才能だけと思い込んでしまってはいませんか。何かを成せて、何かを成し遂げられて、人にチヤホヤされる事だけが才能ですか?私は今も昔もそう考えて悩むことがありますが、よく考えると腹立ちません???
これって、ただの“要領がいい”、“世渡り上手”ではありませんか?
ソロのスポーツ選手や芸術家ならまだしも、大体の“成し遂げられた”仕事は一人だけではできません。その理屈だと、押しが強い人の意見だけ実行に移され、実行に不可欠な様々な黒子役の仕事は無かった物にされ、結局その押しが強い目立ちたがりやだけ褒められるべき、って事じゃ無いですか。そんなの不平等、というかまっぴらじゃありません?
そもそも、成し遂げた人間しか人に認められてはいけないんですか?人を認めてあげない方が悪くありません???
もっと言えば、審美眼が無くとも見つけやすいチヤホヤ才能だけがもてはやされるから、地味な才能を誰も認めないし、本人も見つけられなくなってるんじゃないですか!?そんな審美眼のない人々に認められなくたって良いと思いませんか!?!?そんなのでこれだけ苦悩されてる小瓶主さんの価値が左右されていいんですか!?誰も責任取ってくれないんですよ!? 小瓶主さんの大事な人にさえ認められればそれで十分じゃないですか!
才能も、認められることも、派手な物以外に存在してるものが殆どですよ!簡単には認められないけど、本当の審美眼を持ってる人は、真面目で誠実で目立たない人こそちゃんと評価してくれてますよ... 逆に、一目で、1日で成り立つ様な信頼関係は、怪しく感じてしまいます。
強引で周りを動かせる人が評価されたのは、彼彼女に忠実についていってあげた人々のおかげでもあるんですよ。誰もついていかなかったら何もできないはずです。そして、ただついていくだけの人間も、ついていく人間を選んで良い権利があります。
小瓶主さんには、うっすらとでも“理想的な人間像”があるんじゃないですか。これだけ普通であることに悩まれてるんですもの。
流されるものの意地として、ご自身の理想に反する様な事だけには、せめて流されまい、としてみませんか。理想にさえ反してなければ、流されるままだとしても、苦しむ必要はありません。立派なチームの一員です。私はそんな小瓶主さんを立派だと思いますし、応援したいです。