どうして皆簡単に死にたいと言う?
簡単にじゃないわ、この苦しみは誰にも分かってもらえない!って言うかもしれないけど、死ぬのって怖くない?
私は当年50歳。
小さい頃から集団行動ができず机の中に持ち帰り忘れたプリントや連絡書類がぐちゃぐちゃ、カッとなるとすぐ手を上げていたので支援学級に行けと担任に言われてました。
こんな子は教師生活25年で初めてですよ、何か悪いものが憑いてるに違いないと、親が宗教に勧誘されたくらいです。
当時はADHD等の発達障害ってなかなか教育関係者にも知識が浸透していなかったんですよね。
結局、30代で自分から医者に行って診断されましたが、それでも当時はまだ認可された薬はなく、医師が障害者認定にも否定的で、今も健常者として生きています。
診断されて、障害者認定を受けた人はいいなぁと思うこともたまにあります。それを理由に逃げられる、理解を得られる局面が増えてるみたいだから。
それはともかく、今でも悪気はないのに人から誤解されて大悪人やものすごくだらしない人、常識がない人のようにあげつらわれるととても辛くなります。人生でお金がないより家族に恵まれないより、何よりそれが辛いかも。
その傷のために、あがいてあがいて無茶もして、もっと取り返しのつかないことにもなってますから。
自分がADHDだと自覚するまでに、ADHDだけにいろいろやらかしてしまい取り返しのつかない汚点だらけの人生になりました。
離婚は2回もしてて生き別れの息子がいます。
2度目の離婚では絶対手放さなかった娘だけが唯一の家族ですが、その子も問題行動が多くアスペルガーと診断され「親が悪い」といろんな人に後ろ指さされながら必死で工夫して育てました。
履歴書は真っ黒でますますいい職につけないし、病気で住宅ローンが焦げついてブラックを背負っており数万円の借金すらできません。
パートナーから心ない暴言を浴びせられ自傷癖も発症してしまい、傷を隠すのにタトゥーまみれになって普通の人間として見てはもらえません。
こんな私の面倒をみてくれる人にももう巡り会えず、このままいけば貧困孤独老人まっしぐらです。
はっきり言って、もう手立てがないとこまで来ています。
社会から冷遇され、残された手段は少なく、この先生きていけるかどうか分からない。
でも、こんな私でも、死ぬのは怖い。
ただ一つ私が誇れるものがあるとすれば、死のうとせずに常に工夫してきたことです。
おかげでADHD独特の部分はかなり自分なりの工夫と訓練でカバー出来ています。
もっとも、その工夫を間違えて自分を追い詰めてるとも言えますが、やらないで「何も方法がない」と絶望したり、後悔したりする選択は私には無かった。
そりゃ死にたいと思っただけなら何度もありますよ。
住宅ローンが焦げ付いた時も、自分が死ねば団信でローンが払われて家族が住まいに困らないと本気で考えました。
でも、「死にたい」の代わりに「万事休す」という言葉に置き換えるだけで冷静になれるんです。
私は未だに生きることに貪欲で、実は、こんなに追い詰められて詰んだ人生になっても、幸せになることを諦めてはいません。
まだ生きて、やりたいことがたくさんあるんです。
そりゃ、夫がいて人並みに経済的に安定して穏やかで寂しくない家庭を…というのはもう無理。
でも、自分の力で人生を拓くことができれば、それで本望です。
とりあえず、もう会社に属して働くのは諦めて、大好きな旅行ができるように個人事業を進めています。
振り返ったら灰色の涙しかないなら振り返らなければいい。
例え人から「そんなこと出来るわけがない、夢物語だ。お前現実を見ろよ」と言われても、自分がワクワクして希望を持てればいい。
コケたって失うものももう無いし、明日吸うタバコが買えないとか、電話や電気が止められたことも何度も経験しているので怖くありません。
生活保護も経験しましたが、そこからまた自立しています。
貧困は人を強くします。
闇に呑まれるのが1番怖いことだと思っています。
闇に呑まれるというのは、本当はまだ道があるのに絶望感や自己憐憫等のネガティブな感情に押されて希望が見えなくなること、ヤケクソになって犯罪に手を染めること。
自分を正しく評価出来なくなって余計に辛くなること。
物事がうまく行った試しがない私のような種類の人間には、闇に呑まれないでいることはとても難しいことです。何故なら光を知らないから。
だからこそ、人やモノに感謝するとか、小さなことを幸せに思うとかが必要になってくるんですね。
今、私は更年期障害が酷く、原因不明のめまいや頭痛もあって外で仕事が出来ない状態です。
会社から傷病手当の書類を渋られて日干しにあい、今週中にも電気と電話、インターネットが止まってしまうかも知れません。
「なんで私ばかりこんな目に。当然の権利も貰えないって、運が悪いとしか言いようがない。運が悪いって自分にはどうにもならないじゃん」って絶望するのが普通の反応でしょうし、私自身そう感じてしまいたくなります。
それでもそんな中でも、じゃあどうすれば解決するかを考え続けることができるのが自分の強みだと思っています。
結局、身体辛いけど無理くりでも日払いの派遣やることにしましたよ。
失業手当待ってたら餓死しちゃうんで、とりあえず期限や「こんなことがあったら即やめる」などを自分の中で条件決めて、長く働こうと気負わないことにしました。
その先のことはまたその時考えればいいんです。
明日にゃ明日の風が吹く。
とにかく、死にたいと思うのは簡単で生きたいと思うことは困難が予測出来るだけに難しいけど、自分がハッピーになるために出来る手立てを本当に全部試したか振り返ってから首に縄をかけてもいいんじゃないかな。
方法を思いついても、自分にはできないと思って没アイデアにしてることがすごくたくさんあるってことに気づいて欲しい。特に闇に呑まれて自己評価を落としていたらね。
死にたいと思ったら、それこそスピリチュアルに傾倒してもいいと思う。
その話はまた今度。
死にたい人の、少しでも参考になれば。