あなたが辛い思いをしているのは、
あなたが素晴らしいから。
その素晴らしさは生まれた時から少しも損なわれず、
今に生きている。
けれど、あなたが育ってきた過程で、
その素晴らしさがいつもいつも有利に働いたわけではない。
人とは違うものの見方、感じ方が、
時として周囲には脅威と映ることもあった。
両親は、あなたのその「違い」に本能的な不安を感じ、
「違い」を悪いことのように指摘し、
直さなければと思ったかもしれない。
あるいは、あなたの「違い」が、
両親たち自身の中にある、
何か満たされない子供の頃の思いを刺激したのかもしれない。
それゆえに否定されたように感じ、
あなたが純粋な子供であることを忘れ、
自分が子供の頃に解消できなかった悲しみや苛立ちを
ぶつけてきたのかもしれない。
それは間違ったこと。
ええ、間違ったことなのです。
自分が向き合い解消すべきことを、
多くの大人たちは子供たちに背負わせてきました。
大人たちが「お前はひねくれている」「お前なんかダメだ」と言う時、
「ひねくれている」のも「ダメ」なのも、その大人自身なのです。
たくさんの間違いが行われる中、
あなたはあなた自身の美点を
悪であるかのように思い込んでしまった。
子供というのは、それほどに純粋なもの。
すべては自分が悪い、
おかしいのだと、大人たちから思い込まされ、
信じ込んでしまうほどに子供は純粋なのです。
そうして、全ての責任が自らにあるかのように
罪悪感を抱えてしまう。
けれど信じて!
その罪悪感はあなたのものではないのです。
大人たちが、自分自身で解消できなかった思いを
あなたに負わせた結果であり、
あるいはあなた自身の「敏感さ」という素晴らしさによって、
引き受けてしまった苦しみなのです。
辛い思いを抱えて苦しんでいる今、
あなたは素晴らしいのです。
大人たちはあなたに苦痛を与えたかもしれないけれど、
それを苦痛という名の「大いなる違和感」として受け止めることができたあなたの本質は、
白く輝く素晴らしい純粋さなのです。
白ければ白いほど、黒いインクをポトリと落とされただけで、
汚れは目立ってしまうことでしょう。
けれど、その汚れはあなたの本質ではない。
汚されようと、傷つけられようと、
もとの白さは決して変わることはありません。
だから汚れに目を留めず、輝く白さを認めましょうよ!
あなたが「ダメだ」と思っているところは、
全て裏返せば、あなたの素晴らしさに他ならない。
それは、誰に培われたものではなく、ましてや親が作り上げたものでもない。
生まれながらの、あなただけの素晴らしさだということを、
思いっきり認めましょうよ !
だって、そのことで損をする人なんて誰もいない!
傷つく人だっていないし、怒る人だっていない。
あなたが心の中でわかっていさえすればいいのだから。
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これは、私がいつも心の中で思い、自分自身に投げかけている言葉を、
整理して文章にしたもの。
私は子供の頃から、「お前はひねくれている」「お前みたいなのを内弁慶というんだ」
「お前はダメだな」「お前にはがっかりした」「あんたみたいに物事を深く考えていたら生きていけないよ」
「あんたは複雑だ。一緒にいると疲れる」「あんたみたいな子と歩くのは恥ずかしいから離れて!」と、まぁ、
今おもえば随分とひどい言葉をたくさん浴びせられてきました。
そのせいで、私は人とは違う、
とんでもない醜い生き物なんだと思い込んでしまった。
いつでもどこでも何が起きても、ダメな自分のせい。
学校や会社の中では、誰よりも自分は劣った存在だと思い、
本当に辛い思いをしてきました。
「自分なんて」と思うから、友達とも距離をとりました。
「こんな自分に、本当の友達なんてできるはずがない」と。
鬱を患い、治ったと思っても、人の社会に入るたびに苦しさが増し、
薬に頼ることが続きました。
そんな苦しさ紛れに自分に話しかけるようになったのでした。
私が、私自身の親友だったなら、なんて言葉をかけるかな、と思ったことから、
自分に語りかけるようになったのです。
私が「でも」と言っても、親友は「どうして? なんでそんなに自分をいじめるの? 」と返してくれます。
「だって私はダメな人だから」と言うと、
親友は「あなたがダメだなんて誰が決めたの? 私はあなたをそんなふうには思わない。むしろ素晴らしい人だと思う」と返してくれます。
そうして語りかければかけるほどに、
「本当にそうだ! 私って素晴らしいんだ!」って少しずつ思えるようになり、
トモダチに対しても、(トモダチを失うかもしれないけれど)
自分が思うことを言えるようになりました。
びくびくしつつ、少しずつですけれど。
確かに、こんな私に「変わった」とか、
経済的に苦しい私に「今の暮らしがあなたをむしばんでいるんじゃないの?」なんて、
とんでもない勘違いを口にするトモダチもいます。
(そのトモダチのわがままを、いつも聞いている私が、
その時は「それはできない」と断った結果、帰ってきた一言でした)
でも、決してそうではないことを私自身が知っている。
だからトモダチの勘違いは少しも気になりません。
むしろ、そんなふうにしか捉えられない相手のものの見方の狭さを気の毒に思います。
今でも苦しむこと、辛いことはたくさんある。
「私ってダメだな」と悲しくなることもたくさんあります。
けれど、こうして自分と会話するうちに、
自分を大切にすることの意味が、ほんの少しわかってきた気がするんです。
宛名のないメールには、たくさんのたくさんの私と同じ「私」がいます。
いつもいつもそう感じます。
だから、ふと思って、こんな文を瓶に入れて流してみました。
この瓶を拾ってくださり、ここまで読んでくださったあなたに、心から感謝いたします。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ちぽり
貴方の書いてくれた小瓶を読んで涙がこぼれて、お返事を書いています。
私が私自身の親友だったなら…素晴らしい考え方ですね。
私も唯一私に寄り添える存在でありたいと思えました。
またこちらにいる沢山の「私」に対しても…!
一緒に泣いて一緒に寄り添って、こんなに沢山の「私」がいてくれることに気付かせてくれてありがとう。
名前のない小瓶
素敵な言葉をありがとうございました。
本当にその通りだと思います。
私も、貶しはしてもあまり誉めない両親だったので、自己肯定感の低さに日々苦しんでいます。
でも今は、自分を傷付ける人から距離を置き、あなたのように自分や自分の大切な人を大事にしていきたいです。
ありがとうございました。
名前のない小瓶
泣きそうです…ありがとうございます。
今のじぶんがまさにそういう状態で、
自分を少しずつ守れるようになってきたことにより
周りの人間関係が変わってきてダメージを受けていました。
私も、自分の親友になろうとするのですが
どうしても過去のやり方に戻ってしまうのか
「お前が死ね。お前が黙ってれば丸く収まるんだ」ってやってしまうんですよね
そして、自分じゃ満たされない気持ちになってまた危ない人に近寄って…の繰り返しです。
小瓶主さんはどんなふうにそのあたりを乗り越えたんでしょうか…気になります
同じような境遇にあるのが自分だけじゃないと分かって嬉しいし
きっとこの小瓶は私以外にも沢山の人を救うんだろうなと思います。
形にしてくれてありがとうございます。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください