そうなるまでのきっかけが何かあったのでしょうか。
冬は気が滅入りますよね。私も冬は毎年病んでます。日照時間が減ることと寒くなりますので、冬季鬱といったものもありますし関係があるのかもしれません。
ずっともう修復不可能なところまで何もかも終わってしまったら、海に飛び込んで死のうと思っていました。今でも時々思いを馳せます。
私は死ねませんでした。死ぬ想像ギリギリまで落ち込んでも、体がだるくてどうでも良いと思っても、死ねませんでした。行動が伴っていたら死ねたのかもしれません。
どこかの書物で読んだのですが、「死ぬことと想像を考えてしまうから、死なない理由を数えておく」ということが書かれていて、なるほど理にかなっているなと思いました。
私の死なない理由は、単純に人との約束だったり、どこか遠くへ行くことであったり、読みたい本であったり様々です。それこそ明日寝たいから、コンビニの新作アイスが食べたいから、音楽を聞きたいから、そんなことも含まれています。一日生き延びれば取り敢えず良しとします。
どうしても辛くなったら、海に思いを馳せます。沈んでいくことをずっと想像しています。思うだけなら自由です。自殺に至るまでには複雑な心情や周りの影響が関わっており、葛藤して悩んで追い詰められていたのですから、死んだ人を責める気にはとてもなれません。死にたいと思わない人は単に幸運だっただけなのです。
死んで解放されたいと思うのは自由です。それが救いにもなる場合もあるからです。全部向き合って必ず生きなければならないと自分を縛る方が辛いです。心の死です。どうせ死ぬのだからと気楽に生きてる方が気負わなくて済みます。
笑顔で過ごせるようになってきたのですから、まずはそれで良いと思います。中々難しいですが、死にたいけど前より良いじゃんくらいで良いのではないのでしょうか。