小学生の頃、運動神経が鈍い私は鉄棒の逆上がりができなくて・・・・。
帰宅して、「クラスでできないのは、あたしともう一人だけ〜、あははは」と笑ったら、
母の顔がサッと鬼のような顔に変わり、
「あんた逆上がりもできないの?!なんで悔しいと思わないのよ!
笑ってる場合じゃないでしょ!情けない! 来なさい!」と、
裏の神社の境内にある鉄棒のところに連れて行かれ、
なんども練習させられ、情けなくて泣けばお腹に力も入らないから尚のことできなくて。
「できるようになるまで家に入れない」と言われ、放置。
時々、窓から「ちゃんと見てるからね。できなかったら帰ってくるな」とさらに追い打ちをかけられ、
情けなくて切なくて、本当に家に入れてもらえなかったらどうしようと恐怖心が募り、
よけいに力が入らない。
そのうち今度は父が窓から顔を出し、怒った口調で「もういい!家に入りなさい」というので家に入れば、
汗まみれ、涙まみれだったので、シャワーを浴びろと言われ、
茶の間で父と母が口論しているのが聞こえてきて悲しくて仕方がなかった。
私につらく当たった母に父が怒っていて、
母は母で「だって、五年生にもなって逆上がりできないの自分だけだなんて平気な顔してるのよ!
みっともない、情けない!」と私を否定する金切り声が聞こえてきて、私のことで両親が喧嘩している。
父は感情的になっている母に怒っているだけで、私をかばってくれているわけではなく、
泣いている私のことも「いい加減にしろ」と叱った。
私の腰骨は、鉄棒に当たってすりむけ、あざになっていて、すごく悲しかった。
まるで母から直接いためつけられた傷のように感じたことを覚えてる。
その後、友達と鉄棒で遊んでいたら、なんのことはない、簡単にスルッと逆上がりができてしまった。
帰宅して、嬉しくて母に報告したら、ものすごい不機嫌な顔で、
「そんなの出来て当たり前なのよ! できるのに練習しないのがいけないのよ! そんなことで喜んでてどうすんのよ!」と言われた。
ピアノのこと。
お教室の帰り、ものすごくしつこくなじられた。
私より一つ年下の子が、私より数曲分、教本が進んでいたことで、
「あんたより下の子に抜かれて悔しくないの?! なんで悔しがってもっと練習しないのよ!」と。
悲しくて辛くて涙が止まらず、それでもなお母は道を歩きながらずっとヒステリックになじり続けていて、
他の道を行く人にも見られることが恥ずかしくてたまらなかった。
ピアノの帰りはいつも夜ご飯の買い物をするのがお決まりで、
ついでにお菓子を買ってもらえるのが楽しみでもあったのだけど、
このときも、泣きながらも一緒に店内に入ろうとして、いきなり外に突き飛ばされた。
そう、文字通り突き飛ばされた。
「あんたみたいなみっともない子と一緒にいたくないから、そこで待ってなさい!」と。
ものすごいショックだった。全身に電気が走るように感じたくらいに。
どれだけ待たされただろう。母が戻ってくるまで、店の入り口外のベンチでずっと泣きじゃくっていた。
戻ってきた母は、「まだ泣いてるの?! みっともない。いい加減にしなさいよ!」とだけ言ってスタスタ黙って歩き出し、
置いていかれるのが怖くて慌てて、泣きながらついていった。
ピアノの発表会。順調に弾いていたのに、
途中で突然、頭の中が真っ白になったことがあった。
次にどの鍵盤を叩けばよいのか、わからなくなってしまった。
でも、止まっていたのは、後で録音を聞いたら3秒くらいのもの。
すぐに思い出して弾き直し、あとは最後まで間違えずに余裕で弾き終えた。
自分でも「よく思い出せたなぁ。よくあそこから挽回できたなぁ。あたしってけっこう偉い!」と、
ちょっと得意になって、やり終えた気分で母のところへニコニコして戻れば、
また母は鬼のような顔。
発表会の帰りはいつもファミリーレストランで食事だったから、
その時も「どこに行く?」とルンルンしながら母の腕にぶら下がろうとしたら、バシッと振り払われた。
「あんたみたいな子と一緒に歩くのは恥ずかしい」と吐き捨てられた。
帰りの車の中でも「他の子達はみんなショパンとかシューベルトとか有名な作曲家の曲なのに、
あんたの曲なんて誰も知らない作曲家で恥ずかしい。ちゃんと練習しないから、そんな曲しかもらえないのよ」と
なじられ、シクシク泣くしかなかった。
またも父は、苦虫をかみつぶしたような顔で、母に「いい加減にしろ」と言い、
母は「だって全然練習しないのよ!」と言い返し、
シクシク泣く私に父は「お前もいちいちメソメソするんじゃない!」と叱る。
父は母のヒステリーにイラついて怒っているだけで、私の味方じゃないことは分かってた。
帰宅し、兄たちと買い物に出かけるというので、
置いて行かれる=見捨てられる、と必死で私も行こうとすれば、
「あんたは連れて行きたくない。家にいなさい。部屋でひとりで反省してなさい!」と突き放された。
悪いことをしたわけじゃないのに。
嫌いなピアノ、好きになれないピアノなんて練習できない。したくない。
その頃から、ピアノの先生の家に行くと、玄関に入るなり音が聞こえなくなった。
レッスン中も、水の中で音を聞くような感じでボワーッとした音が遠くから聞こえてくる感じで
現実感がなくなってしまう。
ところがレッスンが終わって外に出たとたん、
音も現実感も一気に戻ってくる、そういうことが中学に上がってからもしばらく続いた。
不思議だった。
そのうち、日常的にも現実感が薄れるようになり、生きている実感も薄れ、
意識が遠のく感じがして気持ちが悪く、
そのため、よく自分の腕を引っかいていた。
引っ掻けば痛い。
私はちゃんと現実の中にいると、確認できる。
でも、痛みも何か紙一枚挟んでいるかのように、
しびれたような感覚でリアリティーに欠けていた。
それらのことを母に訴えたことがある。
何か変、音が聞こえなくなる、現実感がない、と。
母は何も言わなかったし、何も対応しようとしなかった。
「そう?」と、私のほうを見向きもせずに言っただけ。
いつの間にか治ったけれど、
そのことが不思議で不思議で、ずっと後になってから医学書などを調べて、
ストレス性の難聴であり、離人症を発症しかけていたのだと知った。
幼かった自分がかわいそうで泣けた。
なんで叱られたのかはもう覚えていない。
母はいつも、部屋が汚い、片付けろと言ったのに片付けない、
家事を手伝わない、犬の散歩に行かないなどといっては、
私を叱り、でもそれがいつも執拗に2時間も3時間も続いた。
怒鳴り続けるうちに、どんどんヒステリックになっていって、
「あんたはあの時も、この時も」と、どんどん関係ない別の件にまで及び、
泣きたいのを必死でこらえていると、
「何よ、その目は! ママのことバカにしてるんでしょ! 」とつかみかかってきたり叩かれたり、
机の上のものを投げつけられたり。
泣けば泣いたで、
「何よ!なんですぐに泣くのよ!」とさげすんだような目でにらみつけて怒鳴ってくる。
ある時、友達から借りた本まで投げつけようとしてきたので、
「それは友達のだからやめてっ!」と、
叫んだのに、「そんなこと知らない!」と、御構い無しに投げつけられた。
カバーが折れてしまい、友達に返す時、本当に恥ずかしかった。
「母にやられた」なんて言えるはずもない。
(「ごめんね、間違って折れちゃった」と謝った。友達は優しい子だったから、
「いいよ、最初っから折れてたと思うよ。大丈夫だよ」って言ってくれた。)
大事にしていた CDも同じように投げつけられて割れてしまったことがある。
母が大事にしていた植木に傷をつけたと言いがかりをつけられ、
「人のものを傷つけたんだから、あんたの大事なこれも同じようにしてやる」と、
人形の髪を目の前で切られたこともある。
とてもとても大事にしていたものだから「やめて!」と悲鳴に近い泣き叫び方をしたとき、
母が「いいや、やめない!」と言って本当に切ったとき、
信じられないものを目にしている気がした。
いつだかも、やはり2時間も3時間も怒鳴り散らし、叩き、掴みかかってきて、
さんざん私を「叱っ」た。
その夜、布団の中でシクシク泣いている私の背後を抱くようにしながら、
「ママも本当は叩きたくないのよ。叩けばママの手も痛いのよ。でもあんたが・・・」と
クドクドと猫なで声で何か言ってきたけれど、
「いったい何を言ってるんだ?」という冷めた気持ちにしかなれなかった。
あまりに身勝手な言い分で、子供心にも不信感しかわかなかった。
気持ちが悪かった。
セイトウカ=正当化なんて言葉も知らない年頃だったけど、
母が言っていたことは、まさに自分自身のしたことの正当化。
要は「叩きたくなるようなことをするあんたが悪い」と、
くどくど言い訳しながら私を責めているだけ。
怒鳴る代わりに猫撫で声の、取り繕った優しい口調で。
その激しい違和感、矛盾は幼い私にだってわかった、気色が悪かった。
今、思い出しても気色が悪い。あの、芝居掛かった、自分に酔ったような口調が・・・・。
言いつけられたことをやらなかったという理由で、
「あんたが私との約束(母が勝手に決めただけ)を守らないなら、
私もあんたのことなんて一切やらないから全部自分でやりなさい」とか、
「あんたは親に口答えできるくらい立派なんだから、ママはもうあんたのことは一切やらない」と、
翌日の遠足や運動会のお弁当を作ってくれなかったりことも少なからずあった。
朝、学校に行くときに「体育着は?」と聞けば、
ちゃんと前もって洗濯に出さなかった、と言ってまた怒鳴りまくり、
洗い損ねた体育着をしかたなくバッグに詰めたら、
それをわざわざ引っ張り出して水を張った洗濯機に投げ込まれたこともあった。
悲鳴のような声をあげて母を止めようとした私に、
父は「朝から何やってるんだ!うるさい!」と怒鳴っただけ。
学校へ行く時間が迫る中、
大急ぎで泣きながらびしょ濡れの体育着を洗濯機から引っ張り出し、絞り、
ドライヤーで乾かしたけれど間に合わず、
生乾きのまま泣きたい気持ちで体育の時間に着たこともあった。
あれは、冬だったから湿った体操着ですごく寒かった。
犬の散歩に行かないといって、
手元にあったプラスチックのハンガーで折れるほど叩かれたこともある。
母があまりに感情的になり不条理なことをぶつけてくるので、
「それは違う! 」と言えば、
「親に口答えして!」「親をバカにして!」と、
つかみかかってきて口を掴まれ、捻られたこともある。
何かで叱られていたとき、耐えきれずに言い返したら
「あんたなんて友達いないでしょ」と言われ、
あまりの言われように「そんなことない!」と叫べば、
「いいえ、あんたみたいな子にはそのうち友達なんてひとりもいなくなるから!」と
せせら笑うように言われたり、
「あんたは女の子として欠陥がある」と言われたこともある。
中学生の時、ある友達が遊びに来て帰っていった後、
「あの子の着てた服、可愛かったわね」というのにも違和感を覚えたが、
さらに続けて「あんたの友達にはやっぱり●●ちゃん(遊びに来た子とは別の、クラス一の優等生の友達)が
イチバンだと思うわ」と言ってみたり。
「あんたのイチバンの友達は●●ちゃんでしょ?」などと、
私の友達を勝手に格付けすることも日常的なことだった。
ある時、母のアドレス帳を見てゾッとすると同時に、
怒りが全身に走ったことがある。
母に教えた覚えもないのに、
私の友人たちの電話番号や住所が書き込まれていたのだ。
ということは、私の部屋の中に勝手に入り、
友達から来た手紙から勝手に書き写したということ。
なんのために、そんなことするのか全くわからない。理解できなかった。
いまだに思い出すと虫酸が走る。
母が時々、私の日記を盗み読みしていることも気がついてはいたけれど、
証拠がつかめず。
なんども「読んでるでしょ」と言ったけれど、
「読むわけないじゃないの」「あんたの汚い部屋になんて入らないわよ」としらを切られ続けた。
でも、日記を読まなければわからないはずのことを母が口走ったことが二度ならずあったので、間違いない。
「あんたは、もっと目が下にほうについてたら可愛かったのにね」とか。
(私は子供の頃から顔が細面なので可愛くなかった)、
「ママは二重だけど、あんたは一重ね」とか容姿をけなすようなことをしょっちゅう言われた。
お風呂に一緒に入れば、
「ほら、ママは色が白いから赤くなるけど、
あんたは色が黒いからあったまると赤黒くなるわね。全然、ママと色が違う」とか。
こうして幼い頃から、私は醜いと思い込まされてきた。
母が選んだ服と私のほしい服が違った時、
「私はこれがいい!」と頑張ったら、
「そんなの、誰でも着てる。あんたは趣味が悪い。
ママが選んだのが嫌なんだったらどっちも買わない」と言われたり。
一緒に買い物にいった時、母の腕につかまったら
突然「ついてこないでよ」と腕を振り払われ、
私を振り切るように置いてさっさと行こうとしたこともある。
人の目もあるお店の中で、そういうことをされて死ぬほど恥ずかしかった。
「ひねくれている」と言われたことは数知れず。
これらの言葉は、今も私の心の傷となっている。
友達は多くこそないけれど、常に誰かしら親しい人はいた。
それでも「あんたみたいな子は友達がいなくなる」という言葉がいつも頭から離れず、
私は必要以上に良い人のふりをしてしまう。
人に嫌われないようにビクビクしているつもりはないのに、
いつの頃からか、そんな自分になっていた。
ありのままの私でいたら、友達がいなくなる・・・・
頭ではそんなふうに思っているわけではなくても、
心のそこのどこかで、あの言葉に支配されているのだと思う。
「ひねくれている」と思ってしまうから、私は自分を肯定できない。
人と違う、私は異常なのだと、ずいぶん長く苦しんできた。
今でこそ、それは間違った認識であることは理解できるけれど、
それでも落ち込んだり、何かがうまくいかなかったりするときには、
「私はおかしいんだ。私がおかしいからダメなんだ」と思ってしまう。
必要以上に自分を責めてしまう。
本当に長く長く私は苦しんできた。
母が言っていることは間違っている。
子供だったけれど、頭のどこかではそのことを分かってた。
でも、それでも自分の親に言われたことを子供はそのまま受け入れてしまう。
信じたくないことでも。それほどに私は素直だった。
母も父もいつも私を「ひねくれている」「素直じゃない」と言ったけれど。
そういう両親の言葉をそのまま信じてしまうほどに素直だったんだ。
元来、私には競争心なんてなかった。
人と自分を比べることもなかった。
そんな私は母から「人に負けても悔しがらない、情けない、みっともない」と言われまくり、
いつしか私は人より劣った人間なのだと思い込んでしまった。
学校のテストで良い点を取ったと報告すれば、
「ちゃんとやればできるのよ。普段、ちゃんとやらないから良い点が取れないのよ」と言われた。
先生からほめられたと言えば、
「他に(ほめる子が)いなかったからじゃないの?」と言われた。
ときには、「何か他の目的があって、お世辞を言ってるんじゃないの?」とまで言われた。
そのくせ、私がいじめられるようなことがあったり、
誰かから嫌な思いをさせられるようなことがあると、
突然、母性愛を発揮したかのように「なんなの?! ひどいわね!」と自分のことのように怒るのだ。
敵がいるときだけ、私の味方になった。
修学旅行に行く朝、集合場所の駅まで父が車で送ってくれることになった。
母が「私も一緒に行こうかしら」というので、
いいトシして両親揃ってお見送りだなんて恥ずかしいから、「恥ずかしいから来なくていいよ」と言ったとたん、
「友達に見せられないような恥ずかしい親だというのか!」と泣きわめき始めた。
どうしてそういうことになるのかさっぱりわからなかった。
何より、これから楽しい修学旅行に行こうという娘に、
なんで出発直前にこんな嫌な思いをさせるのか、
それが理解できなかった。情けなかった。
いくつもいくつも書き出せる。
まるでかさぶたをむしるように。
いまだに傷は、ふとすると痛痒くうずく。
これだけのこと、あなたはしたんだよ、これだけあなたは私を傷つけたんだよと、
ここに書いたことすべてを母に見せたい。
けれど母は絶対認めない。
以前に一度、私が爆発したことがある。
「あのとき、私を突き飛ばした」というと、「そんなひどいことするわけない」と。
それでも私は負けずに怒鳴り続けたら、
突然、母が無表情になり放心状態になり出ていってしまった。
駅まで行ってしまったので、とうとうおかしくなったかと慌てて連れ帰った。
帰宅してから「こんなに愛している子に、そんなひどいことするわけないでしょ」と抱きしめてきたけど、
吐き気がした。
この人は、絶対に認めないんだ。認めることができないんだ。
どこまでも自分のことだけが可愛いんだ。
母を、初めて他人を見るような気持ちで見た。
「これが私の母親? 私を育てた母親?」と、頭が混乱した。
今も、あの時の母のことを思い出すと吐き気がする。
母に触れられたときの感触を思い出すと、本当に吐き気がする。
気色が悪い。
これが私の現実。私が育った現実。
こうしてあえて書き連ねてみると、母の言動の異常さがあらためてわかる。
毒親に関する本を読んで初めてその概念を知った時、愕然とした。
まるっきりあてはまったから。
まさに毒親そのもの。
これまでの色々に説明がついた。
悪いのは私じゃない、おかしいのは私じゃない、自信がない、自己肯定感が低いのは私じゃない!
いろいろなことが一気に分かり、でもこれまでのことがすべて無かったことにはならない。
傷は深い。
もう母は関係ない、私は私と頭では分かっていても、
人前で話す時やプレゼンの時、能力を評価されるような時は、
激しく緊張して何もできなくなってしまう。
みんなが私を「あの人、どっかヘンなんじゃない?」「口ばかりで何もできない人」「みっともない」と後ろ指さしてくるようで、
他人が怖くて仕方がなくなる。身動きできなくなる。
仲の良い人のことを友達と思っても、
「あんたなんか友達がひとりもいなくなるから」と言われた言葉に縛られ、
きっと相手は私のことなんて友達とは思ってないだろうと、
周りの人をどうしても信じられない。
私の頭の中で、親が私に言った否定的な言葉がことあるごとに繰り返される。
幻聴のようなもの。
そちらに気を持って行かれてしまい、目の前のことに集中できなくなる。
そして失敗する。何もかもうまくできない。失敗ばかり。
そして本当に周りから見下される。
バイト先のパートのおばちゃんの中に死ぬほど苦手な人がいる。
ある時、リストの計算が追いつかず、もたつく私に
「できないからってやらなければいつまでたってもできないのよ!」と叱られた時、
身体中が凍りついた。
覚えのある言葉だった。
覚えのあるシチュエーションだった。
できないからやらなかったわけじゃない。
途中までやったものの計算が合わなくなったからやり直していただけ。
なのに私の言い分は全く聞かずに、
他の人の目も耳もあるところで大きな声でなじられた。
まるで同じ。
そしてハッとした。
その人の、マスクの上からのぞいている目、母にとてもよく似ていたのだ!
大きな二重の目。丸顔。丸っこい体つきで少し猫背。
その人のシルエットは母によく似ていたのだ。
思えば、私が苦手な人って、口調や顔つきや体つきが母に似ている人ばかりだ!
そのことに気づいた時、
過去に経験したこと、母を連想させるものに出くわした瞬間、
私は傷ついた子供の頃に一瞬にして戻ってしまうのだということを知った。
考える前に体が反応してしまうので、本当に困る。
今となっては母はもうどうでもいい。
もう分かってほしい、私を虐待したことを認めてほしいなんて思わない。
どうせわかろうとはしないし、認めようともしないだろうから。
ただ、私は生きて行かなくてはならない。
親から受けた傷を、自分で癒していかなければならない。
これまでも、そのことにたくさんの時間とお金を費やしてきた。
カウンセリング、ヒーリング、セミナーを受けてきた。
そんなことが必要なければ、もっと有意義な人生を歩めたはず。
私が母に傷つけられ、歪められ、苦しんで病んでいた長い時間を、お金を、
もっと別の、前向きに生きる時間にあてることができたはず。
そのことだけが口惜しい。
絶縁して8年。たぶんこのま死ぬまで会わない。
お葬式にも行かなくていいかなって思ってる。
もう私の中で終わっている。
そこまで行ってしまったのだ、私にとっての母という存在、母との関係は。
兄が時折知らせてくれる母の様子から、母はいまだに自分を省みることなく、
絶縁した私のことをなじり、愚痴をいい続けているという。
本当に愛情のある親であるのなら、ここまで娘が母親を拒絶する理由を少しは考え、
自分の非も受け入れるはず。
でも母は絶対にそれができない。
全ては人のせい。
子供のころ、自分が腹を立てるのも、いやな気分になるのも、私を叩くのも、
すべて私のせいにしていた頃とまったく変わらない。
親が子供のせいにすることの矛盾すら理解できない。
ここまで頭が悪い、ここまで身勝手、ここまで自分のことしか愛せない人が
親であることが情けない。
名前のない小瓶
117943通目の宛名のないメール
小瓶を239人が拾った
保存1人
お返事3通
お返事が届いています
とてもリアルでよく分かる。子の成功を貶めるところは台詞までほぼ同じことを言われていました。
ひとつひとつのエピソードをその時誰かに話しても、単なる親子喧嘩と片付けられてしまったりするのだけれど、こういうことを一貫して行う異常さというのはいわゆる普通の人には想像しがたいんですよね。
たぶん、お母様ご自身がお友達のいない人、人が離れてゆく人なのではないでしょうか。我が毒母は周期的に友人関係が総入れ替えされる人でした。全力売込モードと絶縁のくり返し。今考えると自己愛型パーソナリティー障害の特徴がほぼ全てあてはまる人でした。彼女の人生を少し引いて眺めてみると、各種の人間関係をことごとく悪くしているので、なんというか私が愛されなかったというより、他人を愛するということ自体が彼女には無理なことだったのだろうなと思うようになりました。
そしてたぶん、あなたは愛されやすい資質を持って生まれてきた人ではないかと思います。エピソードから垣間見える子供時代の小瓶主さんは、屈託なく明るく前向きで友達への思いやりもある。お母様はそれを感じていたのかもしれませんね。自分にはない、人に好かれる人間の持つ「何か」を持っている小瓶主さん。自分より幸せになることができるであろう小瓶主さん。
その資質は損なわれたのではなく、子供時代の小瓶主さんに押し込まれて心の奥深くで守られていると思います。わたしたちが持って生まれてきたものは、良くも悪くも根強い。私は母に苦しめられたし死にかけもしたけど、それでも彼女として生まれずに私という人間に生まれてよかった。そういう意味では運がよかったと思っています。
泣いてもいいんだと思います。あなたの人生はあなたの人生です。他の人の物じゃない。あなたが歩いている。別に出来なくたって良いと思います。 だって…私小6ですが、逆上がり全く出来ませんですし(笑)でも比べる事はしません。
「まあ良いか〜」で済ませています(;・∀・)
どうか自分を大切にしてください(^.^)
大人のくせに甘えすぎなんですよね、子供に。
その自覚もないし。時が過ぎたら美化して忘れてるし。
多分、本人もその当時はどうかしていたんでしょうけど、根っこの性格が歪んでるのも確か。
なんで反省しないの? 反省しないで平気でいられるの?
随分おめでてえ頭だな? 生憎こっちは逐一忘れてねえぞ??
って、我が事のように読んでしまった小瓶でした。
逆上がりのくだり、あったあったそういうこと!
悔しいのはお母さんだけで、私は別に悔しくないのに。
悔しくない自分がダメなのかなって思ってたな、あの時は。
ピアノの練習も、私はピアノの前に座ってぐずぐずしていたら業を煮やした母がブチ切れて、「もうやらんでいい!」と蓋を閉められたことがあります。
鍵盤に置いた両手の、その上から。
痛さに思わず悲鳴を上げて泣いたら、なんで避けないの!?と更に詰られるという…思い返すと、地獄か!笑 5歳児に何てことするんだ!
自分も大人になった今、あのひとは私が子供のころから私よりもずっと子供で、もう何年も経ったのにそこから成長できていないんだな、と思います。
年齢だけ大人だろうがなんだろうが誰もが結婚して家庭を作って、が大多数だった、ある意味豊かな時代の闇を背負っちゃった気分です。
社会に出ると、そういう歳だけ食った大人って案外あちこちで出くわすもんですね。
でも、ちゃんとした歳相応の大人もいて、その人に比べたら自分はまだ全然子供だと恥じ入ることもある。
どうしようもない人間が自分の親だという事実は如何ともしがたいけど、大人って必ずしも大人ではないんだという有益な気づきを得られたことだけは感謝してもいいかもしれない。
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
聖羅さんが気づいてくれますように。
なんでそんな頑なに生きていかなきゃなの?
ごめんなさいとしか言いようがない。実は最近宿題とかやれてなくて
不登校児30万人ですってね、30万人。世間から見たら結構マズイ事実だと思われてるかもしれません
感情の起伏。なんで俺が機嫌伺って、行動しなきゃいけないの?急に怒り出すし、急に泣き出すし、もう俺もつかれたんだよ
おうちの!空気が!悪い!!!両親ずっと喧嘩してて鬱。高校生で無駄に大人だから、小学生の弟の代わりに両親の伝書鳩役にされるのも辛い
コップに半分の水を見て、どう思うか。
夢も希望もなくなりました
あの日の出来事以来、過去のフラッシュバックのせいで、生きる意味がなくなり、自分の存在自体を消してしまいたいと
幸せの大きさ。人から必要とされる人になりたい。家族とは別の人から必要とされたいの。これは欲張りかな。あの人の気持ちが知りたい。会いたい。話がしたい
死にたい。部屋の電気を消して、過去の失敗や他人からの蔑み、自己嫌悪で頭の中がうるさくなる
失敗と損失。はあ……。やっぱりミスとか失態てのは、予期しない時に突然やってくるもんだな……はあ……情けない……頑張っても上手くいかないし
振り向いてもらえないことがこんなにつらいなんて
どんなに頑張っても褒めてくれないお母さんに疲れた。どうせなら産まれてきたくなかったし、お母さんに育ててもらいたくなかった
おめでとうとか良かったねって喜んであげらられればいいのにできない