「変わってる」と、よく言われる。会う人ほぼ全員に。
それが面白い、興味深いと同義であることは稀。
蔑んだような、拒絶するような目で、そう言われる。そこに悪意がないことが多いのは、分かっている。
私としては、私は誤差の範囲内に収まっている人間で、大して珍しくはないと思う。
奇行と呼ばれることはしていないし、何かに対し拘りが強いわけでもない。
視点が独特で、好奇心が少しだけ強くて、アイデアを思い付くのが得意というだけ。
人の領域を侵さない限り、周りの人、普通の基準、多数と大きく違うことはよいことだと思っている。そういう人が世界の差し色となって、世界をより広げられると思うから。
私に負の意味で「変わっている」と言った人が「変わっていない人」だとしたら、そういう人はもともとの世界の秩序が崩壊しないように上手く保つことができると思う。
お互いにいいところと役割があると思う。
だから「変わっている」私は、「変わっていない」人たちを認めたいし尊重したいけれど、歩み寄りたくないと思う自分がいるのも事実。
実はそんなに変わっていないであろう私を、表面だけ見て変な要注意人物のレッテルを貼ってきた人が多かったから。
そんな人物を理解してどうする、向こうは理解する気などないのにと考えてしまう。
ただ、あくまでそれは一時的な感情にしか過ぎなくて、理解する姿勢がないと、どこかで同じように「変わっていない人」を見下すような態度をとってしまうかもしれない。
あの目はとても不快。同じことをしたくない。
今まで分からなかった、理解できなさそうな人だからといって、吟味せず結論付けるのは、なんとも浅はかで醜いことだと思う。
この言葉も、見下しかもしれない。
難しい。
理解されたいのかもしれない。