最近クマに興味があって50年ほど前にヒグマに殺された大学生たちを知った。自分が生まれる何十年も前に今の私と同じ大学生であった人たち。
今だったら熊の対処法なんてググればすぐ出てくるのに残念だな、可哀想だなって思ってしまう。
その大学生たちが登山にも関わらずなぜ熊の対処法を調べていなかったのかと愚かに思うよりも前に。
家で便利なものに囲まれて引きこもってばかりの私より何かを頑張っているという点でよっぽど偉い人たちであろう。
もしもあの時……なんてこと世の中にいっぱいあるよね。
たまたまその時は命に関わっただけで。
人って本当に簡単に死んでしまえる。恐くてとても神秘的だ。
あと誘発的に沢田リーダーのことも知った。
ひたすらに謝罪の言葉を述べる彼に、登山について(雪山登山については特に)何も知らないくせに誰やねんって感じやけど、あなたのせいじゃないのよって伝えられたらいいのになって。
彼の死を知った以上、即死できなかった彼を不憫に思ってしまう。
死が怖いわけじゃなくて死んでいった偉大な先人や友と意思の疎通を取れないことがひどく恐ろしくてたまらない。
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ななしさん
誰かの犠牲でしか知れないことも、本当に本当に残念だけど、あるから。
いま生きている人間が、これからの人間に、犠牲ではない形で少しずつでも伝えていくしかないんだろうね、結局。陳腐だけど。
津波や震災の犠牲についても、同じようなことが言えると思う。石碑を建てても朽ちていく。人間は忘れる。だから折に触れ、繰り返し、あらゆる手段で伝えていく。今は、デジタルアーカイブとして長く手軽に記録を残せる、いい時代になった。仰るように、ググれば出てくる。残そうとしてくれる誰かのお蔭。
熊害についてなんですが、星野道夫さんという写真家はご存知ですか。
まずは彼が残した美しい写真の数々に、ぜひ触れてみてほしい。見た事ありましたら失礼。
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