いい人になりたいと思っていた。でも、いい人にはなれないみたいだった。
私は、言うほど真面目じゃない。ただなにかに取り組むなら、それに誠実に向き合いたいと思っただけ。
そういう姿勢は、ある人にはかっこよく見えるらしい。ある人には、自分が窮屈だと感じるらしい。ある人には、カッコつけだと感じるらしい。
どう思われても、仕方がない。変えようがないから。
だけど、そういう一面だけを見て、「真面目だ」なんて言わないで欲しい。
真面目な人は興味無いこともあることもキチッとやる人だ。
私は、楽しめることしかしないし、できない。
だから、やらなきゃいけないが楽しくないことは、無理やり楽しいと思い込むことにしているし、実際最終的には楽しんでる。
だから、ひとつのことしか基本的には集中できない。しかし、それに夢中ということはあまりない。それが終われば、別のものを楽しんでしまうから。
感情を無くせと言われた。
無理だと思った。前述の通り、感情なしで私は成立しないから。言ってみれば、私は、感情で動いてる。
感情を無くすというのは、動力を失った人形になるということだ。
でも、感情を見せないことはできる。見せないことと、無くすことは同義ではない。
今まで感情を見せなかったし、意見を言わなかった。そうすれば、誰も私の世界に無礼に入ってくることは無いと思っていた。
でも、そんなことはなかった。感情を見せないかつ私の意見を言わない私は、みんなにとって都合が良かった。私の世界は、歪んでいった。
羨望の的?目標?嫉妬の対象?どんな話でも受け入れてくれる人形?どんな欲望でも満たしてくれる道具?
1人の人間として、めんどくさい1人の高校生として、私と話してくれる人はいなかった。
今までも、これからも、そんな人はいないだろう。
だから、私は、私自身が私の会話の相手をしなければならない。
それはただの循環にしかならないかもしれない。
でも、私の話を聞いて受け止めてくれる人がいないならば、そうするしかないじゃないか。
そして、自分でその対話の終着点を見つけるしかないじゃないか。
私は、1人の人間だ。誰かの思い通りになんてならないし、もしなったとしても、それは自分で選んだ道だ。