うつ病になるまで、物事の捉え方を変えれば、治ると思っていた。
実際になって、物事の捉え方を変えるなんて、とても難しい、、と知った。
ましてや、身体が言う事を聞かない。
様々な、事を知ることになった。
でも、ADHDは、知った事が少ない。
健常者になった事がないからだ。
確かに、暇な時キョロキョロ、している。
今まで、いじめの時、後ろの人の把握が出来て、当たり前だと思った、学校の席の後ろから見ていると、意味無く、横を向く人が少ないのに気ずく。
でも、話し方、仕草とかは、人と比べ用がない。自分自身だから。
友達と話したい。
あそんでみたい
アドバイスでいいから、欲しい。
指摘でいいから、欲しい。
他の人と何が違うの??
自分がなんで、生きているのか、考え続けるの?
人の話を聞くよりも、時に自分の心の声を聞く方が大事。
偉い人に都合のいい話(たいてい学ぶ側か働く側がグズでのろまだという「遠回しな人格否定」か「おかしな叱咤激励(=マウント)」)を大声でするのを延々聞かされて、素直にへーこら言うことを聞いてるうちに、いつの間にか自分の心の声は偉い人のデカい声でかき消されて、全く聞こえなくなっている。
彼らは口で言わないが「人の話を聞け=自分の心の声は消せ」ということで、「言われてもないことの意図」にまさか本人が気付けるはずもなく「自分のせい」だと思い込む。
そういう時、私達は鬱と呼ばれているんじゃないかって思う。
鬱は、偉い人の声のボリュームが知らない間に目一杯大きくなっていて、自分の心の声がさっぱり聞こえなくなる難聴です。
そういう見方をすると、本当に悪いのは本人に気付かれないようにどんどんボリュームを上げていった人達であって、決して本人ではないのです。