ブレないようになるという事は、それが己の内で当然になるという事でもある。
己の内に作った志(目的)を、新たな信念(状況の中、不変な態度)に変えていけるかというところなのかね?
誰かの為に思いやりを持つ、という事は、同時に自分の意思を尊重して優先する、という事でもあるかと思う。
なので、真心はあっても、不愉快な事をされたら自己中自己防衛になっていいんよな。
別に自己中でも自己防衛に走ろうとも、誰かを傷付ける行動に走らなければ問題ないし、行動の根本も変わっていない。
(ふと疑問に思ったのだが、自身への尊重とは、自分を守る事でもあるのか?)
また、「都合がいい」事だけが、優しさや親切という訳でもないしなあ。
まあ、良くも悪くも、他と関わるからこそ、産まれてくるのが信念よな。
失礼かもしれないが、他人事ながら、小瓶主さんのような、理性が形成されていくように見受けられる様を見るのは、なんだか楽しくなってしまう。
いや、嬉しい…、という言葉も、楽しいという言葉も変な気がするが、その中間のような気持ちだ。
…でも、人間なので必ずブレる事はある、と言っておこうかな。
なので、ある程度守れればそれでよし、として置くのも良いかもしれんな。
こんな事を書くのは悪魔の囁き地味ているとは思うが、予め「絶対はなく、ブレる可能性はあるものだ」と思えていた方が、立ち直りは早いかもしれんのよ。
とにかく、ブレそうな時。ブレていると気付けた時。
もう一度初心に立ち帰れるなら、手段はなんでも良いが、そんな時がもし来たなら、早めに立ち上がれるといいな。