過剰な自己演出と防衛、そして、他者に受け止められることへの渇望、それ以外に何もなかった人間。何も持てなかった人間。
それだけ。
何度おんなじことを繰り返すんだろう。
何回も何回も
私は繰り返し、人類を試している。
「こんなひどいものを見て、それでもお前は見ないふりをしないと言えるか?」
「受け止められると言えるか?」
と。
私を憎む私も私を愛する私も
本当は全部、本当じゃない。
すべては言葉を選び人を惹き寄せるための無意識的な演出だった。
全部、本当じゃない。
何も本当じゃない。
あれもこれも、本当じゃない。
なにも確からしくない。
だって私に中身なんてないんだもん。
私なんていないんだもん。
私がいまここに存在することを教えてくれる人なんていないもん。
そんなの、私、実在しないのとおなじ。
「わたし、死ねばよかった?
もう、なにもわからない。
許されない人間で、すみませんでした」
こう私が言ったとき
実際のところ私が考えているのは
「わたしは許されない人間なんだ」
って、それだけなんだろうな。
それだけのことをそのまま口に出す勇気もないから、ゴテゴテ装飾して防御して
「え?笑 許されないことくらい最初から知ってるけど? うん、私って死んだ方がいいよね、そうだよね、あー慰めとかいらないけどさ、そんなことないよとかいらないから、でも、君は私のこういう醜いところから目を背けないよね? こんな惨めに喘いでいる私を。ねえ、どうかその上でなにか言葉を発してよ」
とかいうよくわからんメンヘラになる。
ふふ、そりゃこんなんじゃ
私のこと嫌いになる人もいるだろうな。
ごめんね、持病なんだ
こうやって自覚してもすぐに忘れて
取り憑かれたように同じことを繰り返す
多分そういう病気なんですよ。
今回はいつまで正気でいれるかな。
こうやって素直になれてるのだって
今はもう演じる力が残ってないから
って、多分それだけ。
それっぽい論理と文体で
いつも自分や他人を誤魔化している。
「いつまでそんなことを続けるの?」
その言葉を異常に恐れてきた私は
やはりどこかで
自分の歪みに気が付いていた。
私に足りなくて、なおかつこんなにも歪んでしまうくらいに渇望してしまうものって、なんなんだろうね。
わかんない。もうなんにも。
誰か一から教えて欲しい。
この世界は本当はわかってるのにわからないことだらけだ。言語化できないことだらけ。安心できないことだらけ。
でも、ちょっとわかったこともある。
最近付き合いはじめた人とこの前ご飯に行ったとき、私はメニュー表でどれにしよっかなーってあれこれ悩んでた。
東南アジア系のお店だったから、せっかくだから面白いもの頼みたいなーとか言いながら。
そしたら、その人がにこにこしながら
「すごく楽しそうだね」
って言ってきた。
それだけ。でも、それだけなのに
なぜかとても不思議な気持ちになった。
目をかがやかせてメニュー表を見ている私という人間が、そのときその言葉で、はじめて私の意識に上がってきた気がした。
なんだか変な気分だった。
でもそのとき多分
私という人間は、確かに存在していた。
ああ、本当のことを言うのって
あんまり気分が良くないんだな。
言葉にした瞬間から
その気持ちがシャボン玉みたいに割れて
消えてなくなってしまう気がするから。
もうすでに、感じることよりも書くことが癖になっている。だから校医にも、もっと感じなさいと言われたんだろう。書いてばかりいたところで問題は解決しないんだからと。
「そう、今みたいに笑うのが大事だよ」
と。
他者の目に映る幸せそうな私のことを、私は信じることができない。
なのにどうして今になって、そんな信用できないものの存在をわざわざ教えてくれる他者の存在が、どうにも心地のいいものに感じるのか。
何気ない言葉のセレクトを素敵だと言ってくれた君が好き。
何気ないユーモアを本気で興味深く感じてくれた君が好き。
私の知らない私を教えてくれる君が
私の知らない私に魅力を感じてくれる君が好き。
まっすぐに人を見つめる君のまっすぐさが好き。
君がたとえ、私の絶望を知らなくても。
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