どうして悲しくても泣けなくて、平気だと思っているときに泣いてしまうのかがやっと分かった。
感情の自己防衛だ。抹殺されかけた感情たちの最終手段だ。
何とも思っていないとか、平気とか、たぶん嘘。
感情がたくさんあったのに、いらない場面が多かったからゴミ箱に詰め込んで、それで感情が少ない私ができてしまった。
ゴミ箱に詰め込んだところで消えるような代物じゃないんだな、感情。
自覚できなくなっただけだった。
なぜか泣いてしまうのは、自覚していないゴミ箱の感情たちが叫んでいるからだ。
感情が存在して叫んでも、主がそれを表せなかったら、涙として出てくるしかないよね。
生まれて存在した。でも出ていけない。涙になってしまえ。そんな感じか。
よかった、死んでなかった、感情。
ああ、でも困った。私にはゴミ箱も見えない。
詰め込んだのも全部無意識だったから。
泣くのも、人を困らせてしまうし、私も説明に困ってしまうし。
一番出てきたがっているのは、怒りだと思う。
私は一番出てきてほしくない。
最も涙に変換されている感情だと思う。
だって感情的に怒る母親があまりにも醜かったから。
感情論で、叱るではなく怒る親や教師たちを汚いと思ったから。
でも怒り自体は何も悪くない。それをどう使うか、どう出すかが大切だと思う。静かに怒ることだってできるだろう。
怒りかたを知りたい。
怒りを殺さず表現する方法、それから理性的に表現する方法。
別にもうなくてもいいかなって思ったけれど、それは存在していないと思ったから。
存在しているなら、今まで殺し続けてなお消えなかったのなら、私はどんな感情でも大切にしたい。