この間、生物学の授業で先生が、
「生き物は他のいきものを食べることによって生きてる。
生きているということは命をいただいているということ。
植物だって命だし。
そう思ったら食事は多少無理しても残さず食べなきゃと思うよね」
という話をされていた。
それを聞いてから、食事をする時、この食事はみんな生きているものだったんだな、って意識するようになった。
この魚も、きのこも、豚肉も、豆腐も、りんごも、牛乳も。
スーパーで買い物をするときも、少し想像するようになった。
このイカフライも、今は茶色の衣に包まれているけど、広い海で泳いでたイカだったんだな。とか。
調理されてるものばかり食べてると、いつのまにかそういう気持ちを忘れちゃうのかな。
今までどれだけの数の、どれだけの種類の命をもらってきたのかな。
私の中にも、あなたの中にも数え切れないほどのたくさんの命が生きているんだ。
ありがとう。
皆さま良いお年を。
大学生のクウネル
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ななしさん
そうなんだよね。
だから食べるときに「いただきます」って手を合わせて言うんだよ。
だけど最近はそれを考え違いして、宗教だとかなんとか言う大人がいる。
違うんだってば。
ありがとうって意味なんだよ。
手を合わせるから宗教って。
なんと短絡的な考え?
根本的なことを見直そうよ。
ななしさん
本当は、そういう事を家庭の食卓で教わったりしたのだけれど…いつから教えなくなっちゃったのかな。いつから日本人はそういう事に無頓着になっちゃったのでしょうね。
良い先生に出会えて、あなたは幸せ者かも!
あなたのこの小瓶も、沢山のかたの心にほんの少しでも残ってくれるといいな。
ありがとう!
鈴木、38歳主婦
ななしさん
私と同じ考えの人がここにいました!
よそでは、あんまり取り合ってもらえないんです・・
この考え方を言うと。
なので、少しだけビックリもしました。
かくいう自分(人間)も、たんなる生きものの一つに変わりはないので・・
という気持ちを、心の片隅にはいつも忘れんぞ!と思ってます。
まいたん
ななしさん
信教の自由を盾に手を合わせることを拒否、それを
学校にヤメロと強制することこそ信教の自由に反するし、マネーを払ってるから、と「いただきます」は不要とはいう基地外の父兄は…ちょっとな~~~
「いただきます」は命のつながりの輪に感謝。
「ごちそうさま」は人のもてなしの心に感謝。
天の気まぐれを鎮めるために祈ったり、豊作を祈っておそなえしたり、豊作を祝って感謝したり。
日本の「カミ」は自然そのもの。
見えないチカラ。
ま、海外に「いただきます」「ごちそうさま」を
(意訳はできる)直訳するフレーズがないのが、日本固有の信仰…文化的なものを表すかと。
海を越えてきた宗教とは一線を画してますな。
宗教を否定するんではなく、その心を向ける対象が異なるってことを言いたくて…。
今日、この日この時に食事ができることに…
食事をつくってくれた方々に…
食材となったものに…
生きとし生けるものすべてに…
感謝の気持ちを込めて…
いただきます。
今しがた終えた食事のために…
食材を求めて走り回って…
この時のためにどれだけ苦労なさったことか…
そのもてなしの心に感謝の気持ちを込めて。
ごちそうさま。
by28歳くらいの人
ななしさん
昔の宛てメを漁っていたらすごくいいなと思った小瓶を発掘したので、
コメント投稿してみなさんにもお福分け。
(いわゆるAgeというやつですかね? 笑)
そう考えるとさ、命をいただかなくても食べられる食事なんて
ひとつだってないんだね。
牛乳は牛を殺さなくても飲めるけど、牛が食べた牧草が牛乳になってるんだから。
よく忘れてしまうけれど、
いただきますとごちそうさまをちゃんと言うようにしたいなと思いました。
それは感謝の気持ちと、自分が忘れないために。
今日の夕飯のピザも豆腐サラダもおいしかった。
ごちそうさまでした(-人-)
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