私と言う人がこの世にいるのは、一回だけ。
あなたと言う人がこの世にいるのも、一回だけ。
ただ、何の意味もなく生まれてきたなんてことがあるだろうか?
生まれてきた人の中で、価値の無い人なんているわけない。
誰かの言うことに自分の価値を損なわさせることなんてできない。
今誰かの言葉や態度に傷つけられていて、自分を押し殺して堪えている人、
自分自身に優しくすることが悪いことだと思っている人、
もっと自分のことを愛してあげて。
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ななしさん
ありがとう。
ななしさん
賛成!
ななしさん
ありがとう....
思い出したよ....
ありがとう
ななしさん
共感します。
宛メのお便りを読んでいると、悩みの内容は違うけど
根っこを見て行くと、かなり多くの方が、結局この部分が受け入れられないから
つらいのではないか?と思う事が多いです。
私自身も、たまたまですが
そこが結構ネックです。
もっと、この考え方(自分を愛する)が、当たり前のように定着するとラクに生きれるのにな~と思います。
(日本人は相当これが欠けてると,新聞にのってました)
でも、それ(自分を愛する)で、この世の自分に降り掛かる災いから逃れられるとは、全く別物なので(それはありえない)
間違えたくないです。
(前は、混同していて間違えていたのです)
私も前よりは若干マシですが、まだまだです。
(今日も自分に八つ当たりしかけてしまいました)
でも、自分のこころには正直にありたいと思ってます。
(汚い気持ちで一杯のときも、それを認める)
前より、ちょっとでも
自分自身となかよしになりたいなぁ、です。
ななしさん
<font color=#ff0000>投稿者さんからお返事きたよ</font><br>
小瓶主です。
読んでくださった方、お返事をくださった方、ありがとうございます。
私は以前は頭でばかり考えていつも自分を責めていて、表面上はなんとかやっているつもりでしたが、自分の心はとても傷ついていました。
完璧じゃない自分、頑張れないことがある自分、嫌な感情を持ってしまう自分、誰にでも優しくできない自分、自分の弱さ、素直な喜怒哀楽の感情……それらを認められず無視していました。
でも、本当は、自分がこうあるべきだと思っているもののうち、本当にそうあるべきこと、すべきことはごくわずかなんだなと思います。
自分で勝手に作った重荷は降ろしたほうが楽になると思うのです。
失敗しない、人に全く迷惑かけない人なんていないと思います。
以前は辛い時ほどもっと頑張らないと、って考えてましたが、辛い時は自分に優しくする時です。
>23時にお返事をくださった方へ
共感してくださって嬉しいです。
自分を愛する=自分に降り懸かる災いを避けられる、というわけではないということについてもう少し詳しくお聞きしたいです。
自分を愛していると人に何か言われても流せたり、落ち込んだ時に自分を追い込まなくて済んだりすると思いますが、
嫌なことそのものが起こらなくなるわけではないということでしょうか。
良かったらお返事ください(*OwO*)
ななしさん
わたしも結局いつも悩んでしまう原因は自分が自分のことが大嫌いだからなんだって気づきました。
ありがとう。
ななしさん
23時頃、投稿が載ったものです。
小瓶主さんの質問にうまく答えられているか
自信はないのですが、一応補足します。
私が思う「自分を愛する」は、あくまでも
「自分の中での、自分との和解」の問題なので、
そこには他人は関係ありません。
(他人がらみで自分が,ガタガタになった経緯があったとしても)
自分軸で生きる事は,自分が自分を励ましたり、
大事にしたり,許したり、時には待っていてやったり
することではないかと(他もいろいろあるとは思う)
日々の生活の中で、試行錯誤しながら今はそう感じています。
「~ねばならない」という、他人軸
(他人に自分の価値を決めてもらおうとする、
他人にどう思われるか?)
と、「私はこうしたいからやる」によって
した行動は、
同じ事をしていても,動機はまるで違うのに
表面に見える分にはそっくりに見えることがあります。
(本人の内面は結構変化して行ってるのにね)
でも,他人の殆どは,当然表面上に表れるものだけで
判断します。
(だって本人じゃないから,そんな変化などお構いなしです)
相変わらず私の事を、見たいように見るし、
扱いたいように扱います。
だから、こちらが意図していない時に、
意図していない事を言われ、
こちらから見ればまるでトンチンカンなこともあるので、
正直,ハラも立ちます。
出来る限り「自分の言葉」をつくしても、
相手が聞く耳を持ってくれている人ですら
なかなか、意見を伝えるのは難しいのに、
まして、聞く耳持ってない人ならば、
一切聞く耳持たない!の一点張りの人に
出会ってしまう事もあります。
こんな一個のエピソードですら、
やな事,ムカつく,ハラ立つ,バカヤロー!の感情は
メラメラと沸きます。(私はね)
だけど、基本的に「自分を愛する」が、大体出来てる人は
この状況,この感情に出会っても、
前ほどは、長引かないと思います。
根っこが自分を大事にしてるので、
自分に落ち度がないなら、
「そういう人にかまける」
「自分の正しさを相手にわからせようとする」
(聞く気のない相手の場合ね)
が,私は減りました。
最初は、わからせようとがんばってましたが、
いろいろこういう場面に出会ううち、
そんなときは、腹を立てたまま
沈静化するまで待ちます。
あの人は、私を見たいように見て、
話も聞いてくれなかったけど、
私はその時、やらないといけないこと(仕事だったり)
は、きちんとベストをつくしたので、
自分軸で見れば、別に落ち度はなかった。
おつかれさま、偉かったね、よしよし、で
本日を締めました。
人間である以上、自分を愛する,自己受容が出来ることと、
その人間が「喜怒哀楽」のうち「怒、哀」がなくなることは
別問題だと思います。
それは、人間ではないです。
インフルエンザなら、インフルの中でのベストをつくせばいいと
思ってます。
多分、こういうときのベストは、無理して
用事をこなすことではなく、休む事だと思います。
多分、そういう間違いを、ずっとしてきていたんではないか?
と何となく思ってます。
(よかれと思っての,はき違え)
めんどくさい事、やなことは、
ひとりでいる時でも、ましてや他人がからめば
あります。
他人さん自身が、自分を大事にしてる人であるとは限らないし、
もし、運良く、そういう人だったとしても、
人は,人である限り、いつも的確な判断ばかり出来ないし、
間違えるし、自分を愛せるようになっても
好き嫌いはあります。
自分のそういう面を見なかったことにすれば、
タダのきれいごとをいう偽善者です。
結構,その穴に落ちがちなので、気をつけないとな~と
思ってます。
(だからこそ,逆に他人のソレには嗅覚が敏感になる)
最近も、何度も経験してるので、
これは傾向かな~?と(仮説)思うことがあります。
表面上の私のことを見て、文句つけて来る人は
決して1から10までは見てません。
だいたいが、2から8くらいまでを見て、批判して来ます。
1と10が抜けてますよ、というと、
ああそう、と口ではいうけど、
人間はみたいもんしか見ないので、結局受け入れてません。
最初は、カッカとハラも立ちましたが
あまりに、自分が摩擦と感じる人は
この傾向があるので、だんだん対処方法もわかってきました。
(取り合わない,無理に付き合わない、が適切かなーと)
超長文ですみません。
これでも言いたい事の3分の1くらいしか言えてないというのが
悲しいです。
もっときっちり、私自身がやってることが
骨身になっていれば、もっとやさしく短い言葉で
言えると思うのですが・・
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